山本昌が語る名将3人との秘話。星野、落合監督の順番が逆だったら現役を長くは「やれていなかった」 (4ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Kyodo News

「星野さんの時は若かったので、叱られても必死に食らいついていくような感じでしたね。叱られているうちはチャンスをくれるんで、それでホッとしている自分がいましたが、若い時代でよかったです。星野さんと落合さんの順番が逆だったら(50歳まで)やれていなかったですよ(苦笑)」

 落合元監督は、どういう監督だったのだろうか。

「落合さんは、勝つためにどういう選手を使うのかを常に考えていました。その考えで私は晩年、救われました。落合さんは、『若手とベテランが同じ力ならベテランを使う。ベテランのほうが試合を勝つ術を知っているから』と言ってくれたんです。普通は逆なんですよ。同じような力だと若手にチャンスを与えると思うんですけど、今、勝てるのはどっちという考えで起用してくれた。50歳までやれた道を作ってくれたのは、落合さんでした」

 投手出身の星野元監督は、よくブルペンに顔を出しては厳しく指導していた。「監督になるぐらいの人はエースになっているし、投手のことをわかっているのでうるさいんです」と苦笑するが、対照的だったのは落合元監督だった。投手のことは森繁和投手コーチに任せきりで、たまにブルペンに現れると投手がみなビックリするほどだったという。

「落合さんは、僕が200勝投手になった時に『昌は自分でやめられる投手になった』と言ってくれたんです。それ以降、私がやりますと言えば、周囲は何も言わずにやらせてくれるようになったので、その言葉は本当にうれしかったですね」

 星野元監督から嬉しい一報を受けたことも忘れられないという。星野元監督は1991年に中日を退団し、解説者になっていたが、1994年シーズン後、突然電話がかかってきた。

「おい、昌、お前、沢村賞を獲ったぞ」

 山本昌は「本当ですか」と驚くと、「本当だ、俺は選考委員だ。今、決まったぞ」と受賞を非常に喜んでくれた。

「星野さんが推してくれたのかなぁって思いました」

 ふたりの監督の下でプレーし、星野元監督時代は2度、落合元監督は4度、優勝の歓喜を味わった。一方で対戦した中でもっともやりにくさを感じたのは、野村克也ヤクルト元監督だったという。

4 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る