山本昌が語る名将3人との秘話。星野、落合監督の順番が逆だったら現役を長くは「やれていなかった」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Kyodo News

「90年代、巨人戦になると斎藤(雅樹)さん、桑田(真澄)さん、槇原(寛己)さんが出てくるんです。3人のエースと投げる時は意識しましたし、かなり疲れましたね。相手も『負けられない』とかなり意識していたと思います。エースとの対戦は、どの試合も負けられないのですが、私が一番負けられないと思った試合は、1999年9月の巨人戦です。3連戦で2試合を落として、3戦目に好調のガルベス投手と投げ合ったんです。優勝がかかった試合で緊張と気合いで家を出て、気がついたら試合が始まっていた、みたいな感じで、その間の記憶が飛んでいたんですよ。試合には勝利(6-2)したんですが、ここまで記憶がなくなるような試合は、この時だけですね」

 ここまで強烈なインパクトを残した試合はないが、思い出に残る試合はいくつかある。2006年、中日が首位を走る中、9月16日、山本昌さんは阪神相手にノーヒットノーランを達成した。だが、その後、阪神が8連勝して追い上げてきた。甲子園での首位決戦、初戦を落とし、つづく絶対に負けられない試合で山本昌さんが先発した。

「最初に川上憲伸が負けて、2戦目は相手が福原(忍)投手で、もう絶対に負けられない試合になったんです。超満員の甲子園、大ブーイングの中で投げて勝ったんですが、これもすごく思い出に残っています」

 優勝がかかった試合でのエース対決は見ていてワクワクするし、魂を焦がして投げ合う姿は見ていて非常に痺れるが、日本シリーズなどの大舞台でのエース対決もかなり興奮する。山本昌さんは、2004年西武との日本シリーズで第2戦と第6戦で先発し、若きエースの松坂大輔と投げ合った。

「松坂君は、神奈川県の先輩後輩で話をしたことがあったぐらいだったんですけど、投手としてはすごかった。若くて勢いもあって投げ合うのは大変でしたね。最初は僕が途中交代したんですがチームは勝ったんです。6戦目の時は負けたんですが、1勝1敗で、大舞台で相手エースと投げ合うことができたので、この試合もすごく印象に残っています」

 2006年以降、山本昌さんの球を受けていたのはレギュラー捕手の谷繁(元信)ではなく、小田幸平さんだった。小田さんは山本昌さんの専属捕手になっていたが、他のチームでもエースには専属捕手が就くケースがわりとある。ソフトバンクでは斉藤和巳投手が的場直樹捕手とのカップリングだったし、菅野投手には小林誠二捕手がつくことが多かった。

「僕は、ノーヒットノーランも200勝の時も谷繁だったんです。晩年は小田くんが球を取ってくれたんですけど、それは谷繁を休めるという意図があったと思います。捕手は激務ですし、休める時に休ませておかないと1年もたないんですよ。僕は捕手が誰でも気にしないタイプでしたし、首脳陣からも『昌なら違う捕手でもいいんじゃないか』と言われていましたから(笑)。でも、捕手にはかなり恵まれていたと思います」

 山本昌さんは、その後も引退するまで多くのエースと投げ合った。現在は、なかなかエースが誕生しにくい時代でもあるが、エースの風格を持った投手はいるのだろうか。

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