新人・伊藤智仁の高速スライダーに「命の危険を感じた」。八重樫幸雄がそのすごさと伝説の試合を振り返る

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Kyoto News

【伝説の16奪三振の試合を振り返る】

――伊藤さんのピッチングで印象的な試合はありますか?

八重樫 やっぱり、入団1年目の金沢の試合ですね。

――1993年6月9日、石川県立球場で行われた対読売ジャイアンツ戦。先発した伊藤さんはセ・リーグ記録となる16奪三振を記録したものの、9回裏、篠塚和典選手にサヨナラホームランを喫して、0対1で敗れた伝説の試合です。

八重樫 あの日、僕もベンチにいたんだけど、「このまま勝つんだろうな」と思いながら見ていました。篠塚が打った瞬間、僕はファールだと思いました。でも、風がライトから右中間に吹いていて、切れないでスタンドインしたみたい。審判が「ホームラン」って手を回した時には驚きましたよ。

――ベンチ内の雰囲気としては「今日は勝ったな」という感じだったんですか?

八重樫 あの年のトモが投げる試合はだいたい、そんな感じでしたよ。あの金沢の試合もそうだったし、ブルペンでも控え投手は投げていませんでしたから。とにかく、トモのピッチングはテンポがいいから守っていてもリズムが生まれるし、攻撃陣にもいい流れを持ってきてくれるんです。スライダーもすごいけど、テンポもいいのがトモの特徴ですよね。

――伊藤さんと言えば、肩関節の柔軟性に優れ、ルーズショルダーであることも知られていますね。

八重樫 確かに、肩関節の柔軟性は群を抜いていましたね。関節が柔らかいから、投げる時に腕が背中に入るんですよ。バッターからは右腕が完全に隠れますから。それで、遅れて腕が出てくる。あの独特なフォームでは肩の故障も避けられないですよね。肩関節の柔らかさがあの高速スライダーを可能にしたけど、一方では故障の原因になったとも言えるでしょうね。

――実際にルーキーイヤーの93年7月4日に故障して、そこから長いリハビリ生活が始まりました。

八重樫 この年、トモが投げる時にはなかなか援護点が取れなかったんですよね。金沢の試合でも、打撃陣はみんな必死でしたよ。「トモのために、何とか1点を取るぞ」って口にしていたから。でも、それが逆に焦りにつながったのかな? そうしているうちに故障してしまってね。あの頃の野手陣は、みんなトモに頭を下げなくちゃいけない。僕も、そんな思いだったな。

――長いリハビリ期間を経ての復活劇。さらに、再びの故障。この辺りについては、また次回伺います。

八重樫 トモの場合は、あの高速スライダー以上に、その後のリハビリ期間が本当に立派でした。次回、詳しくお話ししましょう。

(第69回につづく)

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