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新人・伊藤智仁の高速スライダーに「命の危険を感じた」。八重樫幸雄がそのすごさと伝説の試合を振り返る

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Kyoto News

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【それ以前も、それ以降も見たことのない変化球】

――前回まで、高津臣吾監督について伺ってきましたが、今回からは同じく今もユニフォームを着ている伊藤智仁一軍投手コーチについてお話を聞きたいと思います。伊藤コーチにはどんな印象がありますか?

八重樫 トモはね、ヤクルトに入る頃からの縁があるんですよ。僕の仙台商業高校時代の大先輩が、関西地区の宮城県人会の副会長をやっていたんです。それで、ちょうどトモがヤクルトのドラフト1位で指名された時に、大阪でその先輩と会うことになって。トモのお父さんも宮城県出身だということを聞いて、すごく親近感を持ったのが最初ですね。

1993年に7勝2敗、防御率0.91で新人王を獲得した伊藤智仁を見守る野村克也監督(右)1993年に7勝2敗、防御率0.91で新人王を獲得した伊藤智仁を見守る野村克也監督(右)――ご本人に会う前にすでに親近感を持っていたんですね。伊藤コーチといえば、「高速スライダー」が有名ですけど、実際のボールはどうでしたか?

八重樫 トモが入団した1993(平成5)年は、ちょうど僕の現役最終年なんです。この頃は古田(敦也)がレギュラー捕手で、僕は代打専門。でも、ブルペンでボールは受けていたんだよね。ペナントレースが始まってからのことだけど、室内練習場でトモのボールを受けたことがあるんですよ。

――どうでしたか、ウワサの高速スライダーは?

八重樫 いゃあ、驚きましたよ。僕がプロ入りした時に、初めて松岡(弘)さん、浅野(啓司)さんのボールを捕球して身の危険を感じたという話は、この連載でもしたと思うけど、トモのボールもまさにそんな感じ。一球ごとに汗びっしょりになっていたね。

――当時、八重樫さんはプロ23年目の大ベテランでした。失礼ですが、八重樫さんの衰えもあったのではないですか(笑)?

八重樫 衰えもあったのかも(笑)。......いやいや、それ以上にトモのボールのキレがすごかった。そして、あの高速スライダーの曲がりのすごさ。それは初めて経験する驚異のボールでした。あの頃、他にもブルペンでボールを捕っていて、いいピッチャーはたくさんいたけど、それでも普通にキャッチングはできますから。でも、トモ以上のボールは見たことがなかったです。

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