「やっぱりきつかった」宮國椋丞の本音。巨人で開幕投手を務めた男が背番号106から再出発 (2ページ目)
打者3人と対戦して被安打1、奪三振1。ストレートの最高球速は140キロだった。本調子にはほど遠いとはいえ、宮國は「思ったより投げられた」と好感触を得ていた。
「ここから上がってくるだろうな、という感じはあったので。僕のなかでは、『可能性はまだ消えていない』という思いがありました」
宮國はトライアウト後も単身でトレーニングを続ける。だが、ここからがイバラの道だった。
年末年始は故郷の沖縄で兄を相手にブルペンに入った。だが、温暖な沖縄での調整を重ねても、宮國の状態はなかなか上向いてこなかった。当時の自分を「半信半疑だった」と宮國は振り返る。
「痛みもなく投げられてはいたんですけど、完全ではなかったです。今まではもう少し腕が振れていたのに、スムーズではないなと」
そんな折、宮國に手を差し伸べる先輩がいた。巨人時代のエースだった内海哲也(西武)である。
「『もし現役をやる気があるんだったら、自主トレに来ないか』と内海さんに誘っていただきました。はい、お願いしますと。行かせてもらいました」
内海の合同自主トレには、コンディショニングを管理する専門家も帯同する。宮國にとってはこれが大きかった。内海らとともに体のケアを受けるうちに、宮國の肩のコンディションが目に見えてよくなったのだ。
宮國は自分への期待感を抱けるようになった。
「完全に治って、腕を振れるようになったので。これならやりたいなと」
2月に入るとプロ野球の各球団は一斉に春季キャンプに突入する。内海から離れた宮國だが、内海の専属トレーナー・保田貴史さんが引き続き宮國をサポートしてくれた。
巨人の投手コーチだった小谷正勝さんがグラウンドに現れ、フォームのアドバイスを送ってくれるサプライズもあった。だが、この時期がもっともつらかったと宮國は語る。
「12月、1月あたりは『まだこれからだ』と思っていました。でも、2月になるとキャンプも始まりますし、やっぱりきつかったですね。話が来ないので......」
挫けそうな時期もあったが、それでもグラウンドには立ち続けた。
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