「やっぱりきつかった」宮國椋丞の本音。巨人で開幕投手を務めた男が背番号106から再出発 (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kyodo News

 なぜ、オファーを待てたのか。

「やれそう」と思えるほど、状態がよかったからだろうか。そう尋ねると、宮國は少し考えてからこう答えた。

「『やれそう』というか、『やりたい』。もちろん、やりたくてもやれる世界でないですけど、わずかでも可能性を信じて、自分が悔いのないところまでやろうと思っていたので。あきらめたら自分のなかで悔いが残りますし、それで話がなければあきらめはつきますから」

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 4月17日には29歳になる。

 酷な質問と思いながらも、聞かずにはいられなかった。「今までのキャリアでもっとも納得のいくボールを投げていたのはいつ頃ですか?」と。宮國は静かに、感情の読み取れない表情でこう答えた。

「やっぱり(プロに)入ってきた当初じゃないですかね。一軍に出始めた1年目が一番よかったと思います」

 宮國は2010年ドラフト2位で巨人に入団している。2位指名とはいえ、当時の巨人編成陣は宮國を「高校生ナンバーワン投手」と高く評価していた。

 高卒1年目にはイースタン・リーグで4試合の登板ながら3勝0敗、19イニングを投げて防御率0.00。2年目には一軍に昇格し、17試合の登板で6勝2敗、防御率1.86と鮮烈なデビューを飾っている。翌年には20歳で開幕投手に抜擢され話題になった。だが、この頃から宮國に変調がきたすようになっていた。

 伸びやかだった右腕のテイクバックがコンパクトになり、抜群のキレを誇った本来のストレートが投げられなくなった。

 テイクバックが変わった理由は肩・ヒジを痛めたからでも、コントロールを気にしたからでもない。宮國は「感覚の問題です」と言葉少なに説明する。

 投手は繊細な生き物だ。20歳前後に大人の体へと変化していく過程で、今までできていた動作の感覚にズレが起きてしまう例は珍しくない。

 それ以来、宮國は葛藤を抱えながらプレーを続けてきた。

「もっといいボールを投げられたのに、という思いは常にありました。でも、そこは割り切って投げるしかなかったですね。いま持っているものしか出せないので」

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