人的補償のリアルに「これがプロ野球か」。田中俊太がDeNAで求められる役割
春季キャンプが始まった頃は緊張のせいか硬い表情が目立っていた田中俊太だったが、日に日にそれは柔らかくなり笑顔が増えていった。
「多少は慣れてきました。みなさん、よく話しかけてくれるので、とてもやりやすいですよ」
昨年12月に梶谷隆幸の人的補償でDeNAに入団した田中俊太 田中が横浜DeNAベイスターズにやってきて1週間以上が過ぎていた。徐々にではあるが横浜ブルーのユニフォームも似合ってきている。
「ピンストライプもそうですけど、アンダーシャツの色も青ですごく新鮮なんですよ。僕は青が好きなので」
そう言うと田中は、白い歯を見せた。
田中のプロ野球生活が激変したのは昨年末だ。12月18日、巨人はFA権を行使し加入した梶谷隆幸の人的補償として、田中のDeNA移籍を発表した。田中が球団から連絡を受けたのはその前日、「明日、球団事務所に来てほしい」との旨だった。梶谷の加入は当然知っており、この時点で田中は覚悟を決めていた。
「そうなのかなって思いました。なので、何人かの知り合いには『もしかしたら......』という連絡は入れました。でも実際に伝えられて、びっくりしたというか、まさか自分がこういう立場になるとは思っていなかったし、本当にこういうことがあるんだなって」
予感はあったとしても、いざ自分が人的補償で移籍することについて、驚きを隠せなかった。ただ、心の整理は早かった。
「同学年の選手が何人かトレードでチームを離れていたので、これがプロ野球かと......。あとは自分次第。あらためて、これをチャンスに捉えようと前向きに考えることができました」
移籍決定後、原辰徳監督からは電話で「今後も応援している。しっかり見ているから頑張りなさい」と声をかけられ、兄の田中広輔(広島)には「やるしかないな。頑張れよ」とエールをもらった。
田中にとって巨人でプレーした3年間は、どんな時間だったのだろうか。
「1年目から試合で使ってもらって、リーグ優勝を2回、またクライマックスシリーズや日本シリーズにも出場することができました。こうした経験は財産だと思っていますし、今後生かしていけるものだと考えています」
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