工藤公康と伊東勤に与えた幻想。野村克也は西武ナインを不安にさせた (3ページ目)
話を戻そう。当時、伊東は"野村ヤクルト"を次のように評価していたという。
「当時のヤクルトはいやらしく、しつこくて粘り強いチームでしたね。それは間違いなく野村監督の功績だったと思います。"丸裸"とまでは言わないけど、相当研究されていると思いました。
あの時、僕と古田は『森と野村の代理戦争』とか、『秘蔵っ子対決』と言われました。僕自身はそう言われるのはイヤだったけど、この対決を通じて、キャッチャーというポジションの注目度が高まったのは嬉しかったですね」
当初は「意識が薄かった」というヤクルトとの死闘を通じ、伊東は「ヤクルトは強かった」と思い直し、「野村監督の教えが徹底していた」という印象を抱いたという。
「あの2年間のヤクルトとの対戦は死闘になりました。92年は何とか西武が勝ちました。でも、93年はヤクルトに敗れました。それまでは西武が歴史を作ってきていたけれど、この年からはヤクルトが歴史を作り始めていきました。よく、《新旧交代》という言葉が使われますけど、まさにこの時から西武とヤクルトが新旧交代したのかもしれない。我々が歩んできた道をヤクルトが歩み始めた。今から見ると、そう言えると思います」
【現役パ・リーグ優勝監督が振り返る野村克也監督】
西武時代に113勝を挙げた工藤 photo by Hasegawa Shoichi のちに工藤公康はソフトバンクの監督となり、昨季までチームを3年連続の日本一に導き、2020(令和2)年シーズンも見事にパ・リーグを制した。自ら「監督」という立場になったことで、工藤はあらためて野村の偉大さに気づいたという。
「1993年にヤクルトが西武を倒して日本一になったのは、やっぱり野村監督のやりたいこと、考えというものがチームにきちんと浸透して、選手たちがそれをきちんと理解して実践できたからだと思うんです。自分が監督になってみて思うのは、監督の考えを選手たちに浸透させることはすごく大事なんだけど、すごく難しいということです」
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