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就職内定から一転プロ志望届。
ヤクルト育成4位の心はナゼ変わったか (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kikuchi Takahiro

 それでも、武田監督は丸山に就職を勧め続けた。また、丸山にとっても悩む理由があった。ひとりで自分と妹を育ててくれた母・貴代さんに負担をかけたくない。親孝行したいという思いもあった。

 だが、貴代さんは悩む丸山にこう言った。

「あんたが野球したいんなら、続けてほしい」

 大学のチームメイトや旧友たちも「後悔せんほうを選んだほうがいい」と背中を押してくれた。丸山は腹をくくった。

「ここで野球をあきらめて働いたら、一生後悔すると思いました。たとえ反対されてもプロに行くと決めました」

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 どれだけ反対してもプロへの思いが揺らがない丸山に、武田監督も「それだけ本気なんやな」と感じていた。最終的に内定先にも了解をもらったうえで、丸山はプロ志望届を提出する。秋のリーグ戦が始まると多くのスカウトが視察に来るようになり、ドラフト会議前には4球団から調査書が届いた。

 ドラフト会議当日、記者会見の準備すらしていない大学で丸山は武田監督らとテレビ中継を見守った。

 本会議が終わり、育成会議も粛々と進んでいく。調査書が届いた日本ハム、中日が選択終了となり、丸山の不安は募っていった。

「名前を呼ばれるかはわかりませんでしたが、ほかのチームもどんどん選択終了になっていくので、ずっと緊張していました」

 ヤクルトの育成4位で、ようやく「丸山翔大」の名前が呼ばれる。丸山は一瞬呆けたように固まり、指名された事実を認識して「うれしい気持ちが湧いてきた」という。育成選手とはいえ、西日本工業大にとっては初めてのNPB選手になる。

 武田監督は今でも「丸山は働いたほうがいいと思っています」と笑う。ドラフト会議を終えると、武田監督と丸山は内定先の企業に内定辞退の謝罪に向かった。「怒られても仕方ない」と覚悟する丸山に、内定先の関係者はこんな言葉をかけてくれた。

「丸山くんがどんな道に進んでも応援します」

 思いがけない祝福に、丸山はより一層、プロでのし上がる決意を固めたのだった。

「まずはいっぱい食べて、トレーニングして、一軍で1年間戦える体をつくること。いずれは一軍で後ろ(リリーフ)を任されるピッチャーになるのが目標です」

 192センチの長身を生かした剛速球とフォークを武器にする未完の大器は、退路を断って修羅の道へと突き進む。

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