2020.11.01

糸井嘉男の大学時のとんでもない数字。
「宇宙人」はすべてが規格外だった

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual

あの時もキミはすごかった~阪神・糸井嘉男編

 今年のドラフトの目玉となった近畿大の佐藤輝明(阪神が交渉権を獲得)。スケール感たっぷりの三拍子揃ったスラッガー・佐藤を語るうえでよく引き合いに出されるのが柳田悠岐(ソフトバンク)だが、同じくよく登場するのが大学の先輩・糸井嘉男(阪神)だ。

大学時代は最速151キロの本格派だった糸井嘉男 ただ、佐藤のプレーに大学時代の糸井が重なってこないのは、なにより最速151キロを誇る投手だったからだ。

 その糸井だが、大学時代の4年間を思い返せば、小さな故障もついて回り、力を発揮しきれずに終わった印象が強い。当時はそんな糸井のピッチングを見ながら、「もったいないなぁ......」と、いつも感じていた。

 糸井は丹後半島に位置する京都府与謝郡岩滝町(現・与謝野町)で生まれ育った。子どもの頃から野山を駆け回り、中学になるとサッカーをやるつもりだった。

 だが父の勧めで野球部に入ると、やがてエースに。それでも、とくに野球熱は高まらず、公立の宮津高校に進んだ際も「帰宅部でもいいかな」と思っていたという。ところが、ここでも友達に誘われて野球部に入ると、まもなくエースに。本人の意思とは裏腹に、溢れ出る才能を周りが放っておかなかった。

 ただ、下級生の頃は投げるとすぐに肩が痛み、登板機会は少なかった。その才能が周囲の目に止まり始めるのは高校3年になってからだ。大学時代に、本人から当時のことについて語ってもらったことがあった。

「高校3年の春の大会で、相手にプロ注目の投手がいて、スカウトが来ていたらしいんです。そこで僕のボールもスピードガンで計ったら143キロが出ていたと。それまで球速なんて計ったことがなかったので、140キロを超えていたと聞いて少し自信になったのを覚えています」

 最後の夏は3回戦で敗れ、甲子園出場は果たせなかったが、関西の強豪・近畿大への進学を決めた。糸井の入学時にはコーチで、のちに監督となった榎本保にいろんな話を聞かせてもらった。