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糸井嘉男の大学時のとんでもない数字。
「宇宙人」はすべてが規格外だった (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual

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「入ってきた時からあの体で、普通に投げれば140キロは超えていました。しかも球が速いだけでなく球筋が違った。指にかかった時の低めの伸びは、私の知るなかでは新垣(渚/元ソフトバンク)に近いものがあった。順調に成長していけば、2年からジャパンに入るんじゃないかと思わせるくらいの素材でした」

 榎本を驚かせたのはボールだけではない。50メートル走をさせれば5秒67で駆け、垂直跳びをさせれば87センチのバネを披露。遠投も120メートルを超え、投手ながらスイングスピードは158キロ......。

「どれも『おいおい、ふざけるなよ』と言いたくなるほど、とんでもない数値を出してくる。これまでにもいろんな選手を見てきましたが、身体能力の高さという点では糸井はナンバーワンです」

 投手だけでなく、野手としても大いなる可能性を秘めていた糸井は、当時監督の本川貢から「どっちでやるんや?」と聞かれたという。

「僕は普通にピッチャーのつもりだったんですけど、野手の考えもあったみたいで。高校時代からバッティングも自信はありましたけど、自分的には迷いはなかったので『ピッチャーでやりたいです』と言いました」

 本人は「投手一本で」という強い意志があったものの、あまりにもずば抜けた身体能力に指導者たちは最後まで決めかねていた。榎本もそのひとりだった。

「野手として試合で使っていけば、二岡(智宏/元巨人ほか)クラスになれると。スピード、パワーなど、『コイツはほんとに化け物か⁉︎』と思わせる選手でした。野手として育てたらどうなるのか......というのは常に頭にありました」

 榎本がコーチから監督になってからも、糸井に野手転向の話を向けたことがあった。しかし、糸井の答えはいつも「ノー」。ある時の断りの言葉が「あいつらしくて......」と榎本が教えてくれたことがあった。

「『野手は練習でやることが多いんで......。僕は走ってやることの少ないピッチャーがいいです』と。それが一番の理由か、と思いましたが、性格的にはほんと掴みどころのないやつでしたね。僕はよく"宇宙人"と呼んでいました(笑)」

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