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王貞治、尾花髙夫もベタ惚れ。
斉藤和巳は「日本のエース」に成長した (3ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

【監督の意向に逆らっても中6日を守る】

 プロ14年間で425試合(2203回)を投げた尾花自身は利き腕を壊したことはないが、投手の危うさをよく知っている。

「斉藤の場合、負担をかければ投げられなくなるというリスクを常に感じていたので、1試合の球数をいつも頭に入れていました。先発が6人いれば、斉藤にあまり負担をかけることなくシーズンを戦えるだろうと考えました」
 
 基本的には、登板から次の登板まで中6日を開けることにした。一度だけ中5日での登板をテストしたが、斉藤の肩の回復は思わしくなかった。だから、「絶対に中6日は空ける」ことを尾花は決めた。

 王監督に「中5日では本当に投げさせられないか」と聞かれても、一度も首を縦に振らなかった。監督との関係がギクシャクしても、投手コーチとしては絶対に譲れないところだった。

「ホークスのエースになった後の斉藤は、もうホークスのエースではなく、『日本のエース』だと僕は思って見ていました。『日本のエース』を壊すわけにはいかない。これほどのピッチャーはもう出てこないと思ったし、もし離脱することになったら、ホークスはものすごい痛手をこうむることになりますから」

【「ほかの選手とつるむな」という小久保の助言】

 2000年6月24日、記念すべきプロ初先発初勝利の日。斉藤と共にお立ち台に上がり、ヒーローインタビューを受けたのは小久保だった。2回に小久保がホームランで挙げた1点を斉藤が守り、勝利した。

 初勝利の斉藤と決勝ホームランの小久保が並んだシーンは、小久保にとっても印象深かったという。

「和巳が初勝利を挙げた時は、僕のホームランで勝ったことに縁を感じました。ヒーローインタビューの後の取材で、新聞記者に『明日の一面は全部彼にしてよ』と言った記憶があります。

 和巳の球種は少ない。ストレートとフォーク、カーブ、へなちょこのスライダーくらい。それでも成績を残せるようになったのは、コントロールがよかったから。特にフォークの精度が高かった。ベース板の上に落とすだけじゃなくて、インサイド、アウトサイドに投げ分けることができましたからね」

 コントロールがよくなったのは、下半身トレーニングの成果だろう。

「しっかり、和巳が鍛え続けたから。下半身の強さがなければ、あのフォームでは投げられません。2000年のシーズンを戦って、チームメイトが和巳の力を認めるようになりました。ピッチャーの中では若いほうだったんですが、僕は彼にこう言ったことを覚えています。『ピッチャーはマウンドをひとりで守らなければいけない。だから、あまり選手同士でつるむな。黙々と自分の練習をやれるようじゃないと、活躍できないんじゃないか』と。
 
 その頃、ホークスのピッチャー陣を引っ張っていかないといけない、自分がやらないという自覚が、斉藤に芽生えたんだと思います」

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