王貞治、尾花髙夫もベタ惚れ。
斉藤和巳は「日本のエース」に成長した (2ページ目)
【「斉藤をエースにしなければコーチの技量が問われる」】
1995年から、ホークスの指揮官としてチームを率いたのが王貞治であり、その秋のドラフト会議でホークスから1位指名を受けたのが斉藤だった。
王は斉藤に期待を寄せていた。
「入団前、斉藤のことは、身長が190センチくらいあって、足も速くて、バッティングもいいと聞いていました。とにかく運動能力が高い。『うちが目指すチーム作りに合った選手かもしれない』と思いました。はじめに私が胸にとめたのはそのこと。
肩の故障もあって、なかなか一軍でいいピッチングはできなかったけど、少なくとも上で投げられるくらいにはなった。斉藤は粗削りでしたが、いいものを持っていたので『いずれは中心選手になるだろう』と見ていました」
1999年10月、ホークスは福岡に移転してから初めてのリーグ優勝を飾り、日本一に登り詰めた。そのチームで、数年後を見据えて策を練っていたのが、投手コーチの尾花髙夫だった。
1999年から2005年までの7年間で5度のシーズン1位、3度のリーグ優勝、2度の日本一に輝いたホークスの投手陣を支えた尾花は、斉藤をエース候補と考えていた。
尾花が言う。
「『このピッチャーをエースにしなければ、自分のコーチとしての技量が問われる』と思いました。すべてが素晴らしかった。故障さえなければエースになれると疑いませんでした」
数多くの名投手を育ててきた名伯楽は、若手投手のどこに惹かれたのか。
「まず、投げている姿がよかった。バッターに向かっていく姿勢はなかなか教えられるものじゃない。体は大きいし、ストレートが速いし、フォークもよく落ちる。一応、スライダーもカーブも投げられるので、先発が十分に務まるだろうと思いました。
斉藤はバッターと本当に『勝負している』ことが伝わってきた。まったく逃げないのが特によかったですね。心配なのは肩だけ。手術、リハビリ明けの肩がどれだけ回復しているのか、どれくらい投げられるのか、ということだけでした」
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