2018.09.10

元日本ハムの優良助っ人クルーズ、
Youはなぜ台湾代表のコーチに?

  • 阿佐智●文・写真 text&photo by Asa Satoshi

 インドネシア・ジャカルタ。野球の世界ではあまり聞くことのない地名だが、この夏、ここで4年に一度のアジア大会が開催され、野球は10カ国が参加した。

 今回も金メダルなら兵役免除とあって、韓国はオールプロの布陣で臨み、大方の予想どおり、優勝を飾った。その韓国のライバルと目されていた日本は社会人野球の選抜チーム、台湾は社会人のトップ選手にプロの若手を加えたチームで挑んでいた。

1980年から6シーズン日本ハムでプレーしたトミー・クルーズ氏 台湾は、1次リーグにあたるラウンド2(ラウンド1はタイ、ラオス、スリランカの3カ国による予選)の初戦で、韓国相手に金星を挙げ、決勝リーグにあたるスーパーラウンド初戦でも中国を下し、決勝進出をかけて日本戦に臨んだ。

 この試合、台湾は日本に負けたとしても3点差以内なら得失点差で決勝進出が決まるという優位な立場にあった。とにかく得点を挙げれば、事実上、勝利を手にすることができると、試合前から台湾ナインは気合い十分だった。

 試合前のスタンド横のブルペンで、褐色の肌をした筋骨隆々の男が、ティーバッティングをする若い選手相手にボールを上げていた。

「バットをインサイドから出して、ボールの内側を叩くんだ! そう、バットを下から出すな! ヒジを締めて上から出せ!」

 その教えは、今から40年近く前、自身が日本で受けてきたものに相違なかった。

 台湾のロースター表のコーチ欄には、シリーロ・クルーズ・ディランと記入されている。彼の本名だ。ラテンアメリカ出身の選手は、アメリカでは英語名を自らつけることが多い。彼もアメリカでは「トミー」と名乗ったが、メジャーでは2打席しか立つことができず、新天地を日本に求めた。

 トミー・クルーズの名で、日本ハムで6シーズンプレー。打率3割以上を4度マークするなど、チームの主軸として活躍。現役時代をまっとうし、NPB通算打率.310を残した。

 引退後は故郷のプエルトリコに戻り、地元ウインターリーグのコーチを長らく務めていた。指導経験を買われ、シアトル・マリナーズのマイナーで指導したこともある。