一軍から三軍、プロから社会人...細山田武史にしかできないこと (3ページ目)

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi
  • 佐野美樹●写真 photo by Sano Miki

 ホークス移籍2年目、一軍捕手の相次ぐケガなどもあって、細山田に一軍でプレーする機会がめぐってきた。しかし、このシーズンが細山田にとってプロ最終年となった。

 プロとしてのキャリアは終えたが、2015年11月に細山田は社会人野球の名門・トヨタ自動車に入部。社会人野球1年目の2016年、正捕手として都市対抗で優勝を果たした。

「人生トータルで考えたら、プロの一軍から三軍でプレーしたという経験は、強みじゃないかと思っています。ベイスターズを5年で戦力外になって、悔しい思いもしましたけど、それでも拾ってくれる球団があって、でもそのホークスからも2年で戦力外になって、それでもトヨタさんが認めてくれて......。でも、それはあくまで結果であって、僕が特別なことをしたわけではありません。今あることを一生懸命やる。それだけですね」

 アジア大会の決勝に臨む心構えを聞くと、返ってきた答えは、意外にも10年前に秘めていた思いと同じだった。

「やっぱり社会人野球は、目の前の1球がすべてです」

 ただし、今は自分だけ見ているわけではない。細山田の視線の先には、チームのこと、社会人日本代表の現在地など、いろんなものが見えている。

「韓国はWBCと変わらないレベルのメンバーが集まっています。力は確実に向こうの方が上です。ただ、日本の野球には緻密さがありますし、つないで点を取るという攻撃、投手を中心とした守り、そして試合運びはどんな相手でも変わらないと思います。1回から9回まで27個のアウトをどうやってとっていくか。それだけですね」

 話を聞いた翌日に行なわれた決勝戦、細山田は試合途中から今大会3試合目となるマスクをかぶった。結果はまたしても韓国に0-3で敗れて準優勝。試合後の表彰式で細山田の首にかけられたのは、10年前と同じ銀色のメダルだった。

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