一軍から三軍、プロから社会人...
細山田武史にしかできないこと (2ページ目)
細山田の言う「経験」のほとんどは、プロの世界で培ってきたものであることは言うまでもない。
細山田は2008年のドラフトで横浜DeNAベイスターズから4位指名を受け入団。早大だけでなく、大学ジャパンでも主力を張った細山田に対する球団の期待は大きく、プロ1年目から88試合に出場し、正捕手の座を掴んだかに見えた。だが翌年から出場機会は激減し、最後の2シーズンは一軍のフィールドに立つことなく、5年で戦力外を言い渡された。
細山田がベイスターズ時代をこう振り返る。
「すぐ試合に出させてもらっちゃったんで。そこがよくなかったのかもしれませんね。下積みがないままいっちゃったという感じです。あの頃は、『自分が活躍しないとダメだ』って思っていました。ベクトルが全部、自分の方に向いていました。プロの世界は結果を残さないと使ってもらえないし、稼げない。試合に出ることができなければ、結局、そこで終わっちゃう。だから結果だけを求めすぎていました」
球団は職員の椅子を用意してくれたが、細山田は自由契約を申し出て、合同トライアウトに賭けた。
そんな細山田に福岡ソフトバンクホークスが声をかけた。当時27歳。次の人生を歩むにはちょうどいい年齢に差し掛かっていた細山田にホークスが提示したのは育成契約だった。三軍まで保有するホークスには、ファームにいる若い未熟な投手の球を受けるベテランキャッチャーが必要だったのだ。
移籍1年目、細山田に与えられたポジションは三軍の正捕手だった。それでも腐ることはなかった。
「ベイスターズ時代と、考え方が全然違いました」
プロ入り後、自分しか見られなかった視野は、戦力外と再契約を経て、グラウンドはおろか、ベンチにまで広がった。それは捕手として細山田が見失っていた一番大切なことだった。
「ホークスのときは、クビを経験して、拾っていただいたんで。チームのために自分は何ができるのか......まずはそこからでした。自分のためだけじゃなく、何か他人のためにできることを求めてやってきました」
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