バブル崩壊で契約金5200万円が
消えた中根仁。「しかも借金が...」 (4ページ目)
――1998年にトレードでベイスターズに移籍しますが、その知らせを聞いたときはどう思いましたか。
中根 ラッキーだなあと。バファローズから仲間がどんどんいなくなっていった時期だったので、違うチームでやりかたった。
――その年にベイスターズは38年ぶりのリーグ優勝を飾り、日本一になるわけですが、どんなチームでしたか。
中根 「若いチームだな」というのが第一印象。それなのに、みんな落ち着いていて大人でしたね。ひとりひとりに実力があって、バッターはむちゃくちゃ打つ。バファローズの強いときと似た印象でした。
先輩が後輩を連れて街に繰り出すというのも同じでした。僕は、駒田徳広さんにかわいがってもらいましたね。お互い移籍組で、僕は1年目で友達がいなかったこともあって(笑)。駒田さんはジャイアンツ出身だから、社長さんの知り合いが多かった。日本中どこに遠征に行っても、社長がいるんです。一方で、若い選手に「今日、このあと飯どう?」と誘っても、みんな(会食の)予定がいっぱい。あのころのベイスターズ選手たちは人気がありましたね。
――ベイスターズに移籍して驚いたことは?
中根 スタジアムやロッカーがきれいなこと。それと、お客さんがいっぱい入ること。バファローズの本拠地だった藤井寺球場は鳴り物禁止だったので、賑やかだなあとも思いました。バファローズの1年目なんて、優勝争いしているのに、シートノックの段階で外野席に10人ぐらいしか人が入ってなかった。先輩に「お前、(観客の人数を)数えろ」って言われましたよ。
――環境がまったく違ったんですね。
中根 バファローズのときは試合中も静かで、普通に会話や携帯電話の声が聞こえてきました。それに対してベイスターズは、優勝したこともあって、1998年の盛り上がりは本当にすごかった。日本シリーズで優勝したら分配金をもらえるんです。貢献の度合いによって、主力、控え、裏方まで分けられるんだけど、その金額も全然違いました。バファローズのときは、一番多くもらった人でも確か90万円くらい。ベイスターズとは3倍以上の差がありました。
――優勝記念の品も全然違うんですか?
中根 ベイスターズはごっついリングで、60万円以上もしたと聞きました。バファローズのときにはネックレスをもらったんですが、鎖の部分が絡まって......。ある先輩は「ガチャガチャで買えるぞ、これ」と言ってましたね。
(後編につづく)
■中根仁(なかねひとし)
1966年、宮城県生まれ。東北高校、法政大学を経て、1988年ドラフト2位で近鉄バファローズ入団。プロ1年目の1989年に10本塁打を放ち、リーグ優勝を経験した。1998年に横浜ベイスターズに移籍。その年に38年ぶりのリーグ優勝、日本一に貢献した。2000年には打率3割2分5厘、11本塁打、61打点を記録している。2003年限りで現役を引退。スカウト、コーチを経て、現在はポータルサイト『アスリート街』を運営し、アスリートのセカンドキャリア支援を行なっている。
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