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バブル崩壊で契約金5200万円が
消えた中根仁。「しかも借金が...」 (2ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

――当時の新聞報道によれば、中根さんの契約金は5300万円、年俸は600万円ということですが、これは正しいですか?

中根 ちょっと違ってますね。たしかに最初はその金額を提示されたんですが、いろいろな先輩から「ドラフト2位なんだから、もっと年俸をもらったほうがいいぞ」と言われて交渉したところ、100万円上がりました。当時の一軍最低年俸が840万円でしたから、2位ならそのくらいだろうと。

――入団前から交渉上手ですね。

中根 でも、「近鉄っていい球団だな」と思っていたら、契約金を100万円下げられましたからね。冗談かと思ったら本気で、「やっぱり噂通りだな」と。

――それでも、1年目でリーグ優勝に貢献したんですから、オフには相当アップしたんじゃないですか?

中根 先輩には「2000万円は狙えるぞ。球団からは最初に1500万円ぐらいで話がくるから粘って上げろ」とアドバイスされて、その気になりました。ところが実際には、球団から「大台に乗りましたよ」と言われて「やった!」と思ったんですが、提示は1000万円。ホームランを10本打っても、チームが優勝しても、その金額でしたね。ビタ一文上げてくれなかった。

――1989年秋のドラフト会議では、野茂英雄投手が1位指名されて入団しましたね。

中根 契約金は1億円でしたね。そこにはすごい差がありました。

――ところで、中根さんは契約金の5200万円はどのように使ったんですか?

中根 お恥ずかしい話......不動産投資をしまして、バブル崩壊のあおりを受けて、借金だけが残りました。このことを結婚してしばらくは嫁に内緒にしていたんですが、そのうちにバレました。

――なんと、契約金が消えてしまったと......。中根さんは9年間バファローズに所属しましたが、最高推定年俸は1997年の4500万円でしたよね。

中根 バファローズ時代は稼いでいる実感がありませんでした。半分は税金ですし、遠征に行ったら後輩の飲み代を出さなきゃいけないので。

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