光山英和コーチが手がけたDeNA捕手陣、球界ワーストからの大改造 (4ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by(C)YOKOHAMA DeNA BAYSTARS

 暴投と捕逸を減らすための指導法。それにまつわる光山の評価によれば、「普通にできていた」黒羽根がレギュラーに最も近いと思える。実際、黒羽根は15年の開幕スタメンを勝ち取っているが、同年は徐々に髙城、嶺井との併用になり、8月以降は嶺井が中心になった。

当然ながら、捕手の起用は捕球のみならず、送球、リード、バッティングの良し悪しも関わってくる。その点、リードはともかくとして、同年は208打席に立って5本塁打、打率.237と捕手陣で最もよく打った嶺井が、守備難に目をつぶって使われた、ということだったのかもしれない。しかしその結果、チーム捕手陣に不名誉な「記録」を残すことになったわけだ。

 そもそも、そのように迷走するベイスターズの捕手起用は今に始まったことではない。19年前の日本一メンバーである正捕手の谷繁元信がFAで移籍した2002年以降、不安定で流動的になった。安定感があったと言えるのは相川亮二が全試合に出場し、3位になった05年だけだろう。

 その相川も08年オフ、FAでヤクルトに移籍すると、阪神からFAの野口寿浩を獲得。ところが翌09年、野口の出場は20試合にも届かず、大学出ルーキーの細山田武史が抜擢され、同年は実に6人の捕手が一軍で起用された。かと思えば、同年オフにはロッテからFAの橋本将(たすく)を獲るのだが、翌10年、ケガもあった橋本の代わりに登用されたのは細山田ではなく武山真吾(現・中日)だった。

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