2017.10.22

ドラフトなき時代。プロに「高校野球
経験ゼロの完全試合投手」がいた

  • 小林信也●文 text by Kobayashi Nobuya
  • 写真提供:武智美保

 今年もプロ野球ドラフト会議を前に、注目選手たちの報道が賑やかだ。今年はとくに、大学生、社会人以上に高校生選手たちへの関心が高い。"甲子園"を沸かせたスター選手の知名度や期待感が高いからだろう。

 この風潮の中で、あえて「ありえないこと」を問いかけてみよう。

アンダースローで打者を翻弄。昭和30年(1955年)には、プロ野球史上2人目、パ・リーグ第1号の完全試合を達成

 もしいま、高校で実績のない選手、いや「高校で野球をやっていなかった選手」がいたら、どのような評価になるだろう?

 武智文雄(1954年までは田中姓)は、まさにそれに該当する選手だ。後にプロ野球に入り、最多勝投手にも輝き、完全試合も達成した投手が高校時代に野球から丸4年も離れていたと言ったら、信じてもらえるだろうか。時代が違うとはいえ、肝心な青春時代、武智文雄は野球から遠ざかっていた。1941年(昭和16年)春、名門・岐阜商に入学。野球部に入ったが、世の中が戦争に向かう情勢の中、夏の甲子園大会が中止になると、文雄は「もう野球はできない」とあきらめ、岐阜商を中退して予科練(海軍航空隊の養成過程)を志願した。

 16歳になる年の秋から19歳の夏まで、文雄は軍隊に身を置き、ほとんどボールを握る機会なく過ごした。特攻隊に配属され、国のために命を捧げる役目を担っていた。死ぬつもりで訓練を重ねた。多くの仲間は出撃し、2度と帰って来なかった。文雄は、幸運にも生きながらえた。国のために死ねずに故郷に戻った身の上を恥じる思いが当時は強かった。終戦を迎え、故郷の岐阜に戻っても、目的を失い、しばらくは荒れた日々を過ごした。