ドラフトなき時代。プロに「高校野球経験ゼロの完全試合投手」がいた (4ページ目)
球界のレジェンド級の投手を見ても、必ずしも甲子園で活躍した経験の持ち主が多いわけではない。歴代最多勝の金田正一は1年夏に甲子園のベンチ入りはしたが登板なし。2年、3年では甲子園に届かなかった。歴代2位の米田哲也も、3位の小山正明も甲子園には縁がなかった。鉄腕・稲尾和久も高校時代は無名の存在だった。近年では、日米通算201勝を挙げた野茂英雄も甲子園には出ていない。高校進学のとき、大阪の強豪校のセレクションを受けたが相手にされなかったという逸話がある。
ただ、その中でも武智文雄の経歴は異彩を放っている。
1955年(昭和30年)8月30日、完全試合からわずか2カ月後に武智はもう一度、完全試合に王手をかける。同じ大映を相手に、9回1死まで25人を連続してアウトに打ち取っていた。あと2人、またも達成すれば、世界でも例のない「2度目の完全試合」を同じ年に達成するところだった。残念ながら、代打・八田正の鈍い当たりがセンター前にポトリと落ち、9回1死で記録は断たれた。だが、1年に2度の完全試合をやりかけた投手は武智のほかにいない。
16歳から20歳にかけて、野球からすっかり遠ざかっていた武智文雄がプロ野球で活躍した事実は、挫折した経験のある野球少年たちに勇気と希望を与えてくれるだろう。
知られざる名投手を追ったノンフィクション
『生きて還る~完全試合投手となった特攻帰還兵 武智文雄』
(小林信也 著・集英社インターナショナル)
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