ドラフト1位の苦悩。期待の大型内野手が
「打ち方を忘れた」状態とは
過去のドラフト1位の顔触れを見てみると、圧倒的にピッチャーの数が多い。12球団のほとんどが、毎年のように"投手陣の立て直し"を課題に挙げているからだ。そんななかでドラフト1位指名を受ける野手は貴重な存在といえる。プロ野球ではキャッチャーやショートなど、育成が難しく外国人ではまかないにくいポジションに有望な若手がいないチームは中長期的な強化が図れない。言い換えれば、読売ジャイアンツの坂本勇人(2006年高校生ドラフト1巡目)のような生え抜きの若手野手が台頭すれば、しっかりとチームの背骨ができる。
1997年ドラフト1位で千葉ロッテマリーンズが指名した渡辺正人は、まさしくそのような大きな期待を背負っていた。しかし、三拍子揃った大型内野手は15年在籍しながらついに覚醒することなくユニフォームを脱いだ。才能豊かな高卒野手に何が起きたのか? 書籍『敗者復活 地獄をみたドラフト1位、第二の人生』(河出書房新社)のなかで本人がその理由を語った。
ホームランを打つこともあったが、打撃に苦悩していた渡辺正人
──渡辺さんは、1997年春のセンバツで上宮(大阪)をベスト4に導いたショートです。打力もあり、守備も肩もよく、走塁にも光るものがありました。しかし、プロ入り後にレギュラーとして活躍した期間は短く、規定打席に到達したシーズンは一度もありませんでした。最後は、守備と小技のうまいユーティリティプレーヤーとして終わった印象があります。
渡辺 高校時代、打つことには自信がありました。足も速かったので、バッティングでも守備でも走塁でも、すべてで勝負したいと思っていました。秋山幸二さん(西武ライオンズ→福岡ダイエーホークス)のような選手になりたかったですね。
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