ドラフト1位の苦悩。期待の大型内野手が「打ち方を忘れた」状態とは (5ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

──バッティングコーチのアドバイスはうまく消化できずに「バッティング・イップス」になったのに、守備では混乱することがまったくなかったのはなぜでしょうか?

渡辺 それは僕にもわかりません。ただ、高校時代から打撃だけの選手ではなくて、守備に興味がありました。プロ野球ニュースで好プレー集を見るのが大好きで、外野に抜けそうな打球を横っ飛びでキャッチするとか、座ったままですごい球を投げるシーンにしびれました。

──渡辺さんのターニングポイントは2004年。開幕直後はスターティングメンバーに名を連ねていましたが、一塁ベースにヘッドスライディングをしたときに左手の親指を骨折。若手の台頭もあって、出場機会が減っていきましたね。

渡辺 西岡剛(現阪神タイガース)も今江年晶(現楽天イーグルス)もいい選手で、入団したときから、いずれはチームを背負って立つ選手になると思っていました。

──2006年以降は、出場試合が100試合を超えるシーズンは一度もありませんでした。出場機会も試合終盤の守備固めが主で、打席に入るのは数えるほどでした。

渡辺 ケガに泣かされたのは自分のせいです。自己管理ができなかった。ただ、スタメンで出ることが少なくなっても、いつ呼ばれてもいいように準備はしていました。1年でも長く野球がしたかったので、二軍にいても自分でできることは最大限やろうと思っていました。

──しかし、2012年シーズンの出場試合は2試合だけ。オフに戦力外通告を受けてしまいます。

渡辺 いずれはプロの指導者になれればという思いはありましたが、僕に誇れるような実績はありません。2013年からは、信濃グランセローズで選手兼任コーチになりました。

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