柳裕也をドラフト1位まで大きくした、
明大4年間の「人間力野球」 (2ページ目)
柳は筆者と同じ、宮崎県の第2の都市である都城市の出身である。田中幸雄(元日本ハム)や福盛和男(元楽天ほか)など、この地からプロ野球選手となった選手は過去に何人かいるものの、決して野球が盛んな地域ではない。中学の硬式野球チームも、市内にわずか1チームしかない。
だからこそ、全国の野球エリートが集まる横浜高校に、都城出身者がいたことは大きな驚きだったのである。柳は言う。
「宮崎から横浜高校に行った選手は自分が初めてでした」
柳は大王小学校の3年生から野球を始め、6年生の時には軟式野球の全国大会で優勝する。その年、父が他界し、葬儀で泣き崩れる母に代わって、喪主の挨拶をする。参列者を前に、「将来、プロ野球選手になって家族を支えます」と誓ったエピソードは、昨年のドラフト時にテレビ番組で紹介された。
小松原中学に進んでも、当初は小学校時代の仲間とともに部活動で軟式野球に励んだ。しかし1年の冬、退部を決意する。
「あまり打たれる感じがしなくなり、このままでは目標を達成できないと思ったんです。軟式野球を見下すわけじゃないんですけど、中1が終わった段階で、軟式のレベルで野球を続けて、本当に上のレベルでやっていけるのかなという思いが出てきて......。そこでずっと誘ってもらっていた都城リトルシニアに入団したんです」
当然、高校野球やプロで活躍するために、早い段階から硬球に慣れておこうという狙いもあった。そして中学3年のときにシニアの日本代表となり、球速も130キロ台にまでアップした。横浜高校への入学は、招待試合で宮崎を訪れていた横浜高校の当時の渡辺元智監督と小倉清一郎コーチに直訴し、決まったという。
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