DeNA山﨑康晃に「考える力」を与えた7年間の猛練習 (3ページ目)
入学時に57キロしかなかった体重は、高校3年時には70キロにまでボリュームアップ(現在は83キロ)。そして主力級になると通える、スポーツジムでのトレーニングで「球速がガーンと上がった」(山﨑)という。
高校3年夏の大会で背番号「1」を手にするまでに力をつけた山﨑は、同年秋にプロ志望届を提出する。しかし、山﨑を指名する球団はなかった。
「『プロ待ちでもいいから来てくれ』と声をかけてくれたのが、亜細亜大学でした。実際に指名がなくて大学を考えたとき、やっぱりウチはお金もないし、野球以外の道に進むことも考えました。そんななかでも亜細亜大学から『お金の面も考慮するし、もう一度整った環境で野球を学んでほしい』と言ってもらえて、それで大学に進むことを決めました」
当時、東京近辺のアマチュア野球の現場で取材していると、こんな声を何度か聞いたことがあった。
「帝京の山﨑が亜細亜に行くらしいけど、あんな気の優しい子が入ったらやめちゃうんじゃない?」
東都大学リーグで輝かしい実績を誇り、幾多の名選手を輩出している亜細亜大。その練習・規律の厳しさは、大学野球ファンなら知らぬ者はいないくらい有名だ。当然、そのことは山﨑本人の耳にも入ってきていた。
「『お前、たぶんやめるぞ』って言われていました(笑)。でも、そう言われるたびに『それしか道はないんです』と......」
実際に入ってみて、やはり厳しかったですか? そう山﨑に問うと、間髪入れずに「キツイっす。絶対に普通の人では耐えられないと思います」という答えが返ってきた。
「朝5時に起きて、アップをしないで5キロ走るとか......。かなりぶっ飛んでいるなと思いました」
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