デストラーデが語る「西武黄金時代と日本野球」 (2ページ目)
―― 当時の西武は絶対的な強さを誇っていました。
「まず、主力選手の年齢がとても近かったことが大きい。僕は野球選手のピークは、27~30歳ぐらいまでと考えているんだ。当時の西武には、僕を含め、アキ(秋山幸二)、伊東(勤)さん、渡辺(久信)さん、工藤(公康)さんなど、みんな年齢が近かった。キヨ(清原和博)は少し若かったけど、特別な選手だった。それに石毛(宏典)さんは年上だったけど、いろんな意味ですごく助けてもらった。こうした選手たちが結束して、チームを勝利に導いていったことは、とてもいい思い出だよ。僕は選手たちをリラックスさせようといろんな面白いことをし、そして試合では集中して激しいプレイをした。彼らはそのことを理解してくれて、私を気に入ってくれた。西武は今でも家族みたいなものだよ」
―― 西武はスーパースターを何人も抱えながらも、「管理野球」を徹底していたという印象があります。森祇晶監督をはじめとした首脳陣にはどんな印象を持っていましたか。
「森監督は僕が成長するためのチャンスを多く与えてくれた。日本では、監督はとても近寄りがたい存在だね。実際、森監督は厳しかったけど、それぞれの選手を理解していた。若い選手には厳しく、アキや石毛さんなど、チームの核となる選手には細心の注意を払っていた。特に扱いの難しかったキヨに対しても、彼をうまくコントロールして、野球に集中できるようにしていた。メジャーや日本の一軍の選手にとって、精神的なモチベーションを高めてくれるコーチが大事なんだ。一軍にいるということは、実力はすでに認められているわけだからね」
そしてデストラーデは、「たとえば、『もっと腕を上げて振れ』といった技術的な指導は、二軍やアマチュアのコーチの仕事だ」と言って、話を続けた。
2 / 4