デストラーデが語る「西武黄金時代と日本野球」
デストラーデインタビュー(前編)
オレステス・デストラーデは、90年代を知る野球ファンならば忘れることのできない「助っ人」だ。銀縁眼鏡の奥にきらりと光る知的な目。ホームランを打ったあとの"弓を引く"ポーズは、誰も真似できない風格があった。秋山幸二、清原和博とともに破壊力抜群のクリーンアップを形成し、1990年から3年連続日本一に貢献。現在、53歳となった「カリブの怪人」に西武黄金時代や日本野球について振り返ってもらった。
日本で4年間プレイし、通算160本塁打を放ったデストラーデ
―― 日本は久しぶりですか。
「4、5年ぶりかな。飛行機に乗る時から、日本のことを考えていたよ。成田空港が見えた時には、思わず写真を撮ってしまったよ。まるで子どもだね(笑)」
デストラーデは53歳には見えない若々しさで、全身からコロンのさわやかな香りを漂わせていた。そしてカフェで注文したカレーを美味しそうに口に運ぶのだった。
「アメリカでは、日本の食べ物が恋しくなることがよくあるんだ。カレー、ラーメン......ステーキだってアメリカより美味しい。今回は東急ハンズにも行きたいし、日本は楽しみがいっぱいだよ」
―― デストラーデさんは89年に来日し、90年から3年連続日本一に貢献されました。西武での思い出をお聞かせください。
「日本の球団から最初にオファーがあったのは、88年の中日ドラゴンズだった。当時、僕はパイレーツの選手で出場機会が少ないことにストレスを抱えていたんだけど、それでもメジャーでプレイを続けたかったので断ったんだ。そうした理由でパイレーツと再契約したんだけど、89年もチャンスは訪れなかった。そのタイミングに代理人から『今、日本の西武ライオンズに行けばチャンスはある』と。西武はそれまで3年連続チャンピオンだったけど、89年は5月の時点で首位の近鉄に11.5ゲーム差をつけられて低迷していた。その時、僕は27歳で年齢的にも脂が乗り切っていたし、ホームラン打者ということを証明したかった。そして何より、ハングリー精神が強かった。西武に行くことを決め、83試合の出場でしたが、32本のホームランを打ったんだ。結局、チームは優勝できなかったけど、オフに西武と再契約をして、翌年からの3年連続日本一など、いい結果を残せた。日本では本当に素晴らしい時間を過ごせたと思っているよ」
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