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大谷翔平とムーキー・ベッツが体現した「困難だからこそ、挑む価値がある」――ドジャース全体に影響を与えたあくなき向上心 (2ページ目)

  • 奥田秀樹●取材・文 text by Okuda Hideki

【チーム力を押し上げた自らの可能性を広げる個の姿勢】

 長年MLBを取材するなかで、筆者が拭いきれない違和感を抱いてきた。創造性をもって新しいことに挑もうとする「向上心の文化」が、次第に感じられなくなっていたからである。その背景には、MLBという巨大産業が生み出した評価の構造がある。

 現在のMLBでは、多くの選手が高額かつ複数年の契約を得ることを最大の目標に据えている。評価軸は、直近の成績と健康状態だ。失敗や故障は、そのまま大きな契約を結ぶ機会を失うリスクへと直結する。こうした環境では、新しいことへの挑戦は「得られるかもしれない利益」よりも、「失う可能性のほうが大きい行為」として捉えられやすくなる。

 具体例を挙げればわかりやすい。大谷のようなパワーヒッターが盗塁を増やそうとすれば、故障の危険が指摘される。ベッツのようなゴールドグラブ賞の外野手が内野守備に挑めば、分業化が進んだMLBでは「ほかの選手に任せればいい」という判断が優先される。そこには、「余計なことはするな」「決められた役割だけを果たせばいい」という無言のメッセージが横たわっている。

 そのなかで、大谷とベッツは明確な例外となった。30代に入っても野球選手としての向上心を失わず、自らの可能性を広げ続けた。その姿勢は個人の成績にとどまらず、チーム全体の天井を押し上げる力となった。MLBのベテラン選手が挑戦を避けるようになったのは、FA制度の成熟、年俸評価の精緻化、ケガのリスクの可視化、そして分業文化の完成によって、「挑戦しないこと」が最適戦略となったからである。

 だが、大谷とベッツは、その完成された最適解を、個人の覚悟と能力によって打ち砕いた。二刀流の大谷が体現しているのは、挑戦を続けることそのものが価値を生み、スポーツを前進させるという事実だ。挑戦こそが、スポーツを進化させる、そのことを、大谷は世界最高峰の舞台で証明し続けている。

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