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【MLB日本人選手列伝】齋藤隆:36歳のオールドルーキーが7年のメジャー生活につながった新たな発見

  • 生島 淳●取材・文 text by Ikushima Jun

齋藤隆は36歳から42歳までメジャーのマウンドに上った photo by Getty Images齋藤隆は36歳から42歳までメジャーのマウンドに上った photo by Getty Images

MLBのサムライたち〜大谷翔平につながる道
連載21:齋藤隆

届かぬ世界と思われていたメジャーリーグに飛び込み、既成概念を打ち破ってきたサムライたち。果敢なチャレンジの軌跡は今もなお、脈々と受け継がれている。

MLBの歴史に確かな足跡を残した日本人メジャーリーガーを綴る今連載。第21回は、36歳で迎えたルーキーイヤーから7年間メジャーで生き抜いた齋藤隆を紹介する。

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【ルーキーシーズンの巡り合わせ】

「外野にあるブルペンから、マウンドに向かって走っていく時の芝生の感触をよく覚えています。なんだかふわふわして、雲の上みたいで」

 齋藤隆がメジャーリーグのマウンドに初めて上がったのは、2006年4月9日のことだった。36歳のオールドルーキーである。

 齋藤は2005年のオフ、メジャーリーグ挑戦を入団以来お世話になってきたベイスターズの幹部に伝えた。

「もしも、移籍がうまくいかなかった場合、またベイスターズでお世話になれれば、とお話しさせていただいたんですが、どうやら僕の場所はないようでした。これは本当に退路を断たれたな、と」

 どうにかロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングには招待選手として参加した。背水の陣である。

「最初、しくじりました。日本では年齢が序列を決めますよね。メジャーは違うんです。メジャーでの経験年数がすべて。それなのに、僕はベテランのグループに入ってウォーミングアップをしてしまって。これはやらかしてしまったな、と」

 オープン戦では尻上がりに調子を上げていったが、開幕はAAAで迎えることになった。

「そのあたりは契約社会なんですよね。開幕時は、メジャー契約が優先される。これも勉強になりました」

 ところが、開幕してクローザーのエリック・ガニエが故障すると、すぐさまコールアップ。ひとりで飛行機に乗り、4月9日にフィラデルフィアで初登板(対フィリーズ)となった。4月は12試合でわずか1失点。5月になるとクローザーを任されるようになり、15日には初セーブをマークする。好調の理由はなんだったのか。

「日本にいる間は、肘の故障に苦しんでいました。ずっと、痛みから逃れられない感じで。ところが、ロサンゼルスの気候は温暖で、おそらくそれが修復に役立ったんじゃないかと思います。もしも、最初に寒冷地の球団に行っていたら、どうなったかはわからないです」

 このシーズン、齋藤は24セーブをマークするが、忘れられない試合があるという。

「この年は、(サンディエゴ・)パドレスとのポストシーズン進出争いが激しくて、9月は本当にどちらも譲らない展開。9月18日のパドレス戦で、1点ビハインドの展開でマウンドに上がったんですが、3点取られてしまった。申し訳なくて。ところが9回裏に、ジェフ・ケント、JD・ドリュー、ラッセル・マーティン、マーロン・アンダーソンが4者連続でソロホームラン。4者連続ですよ。そんなの、想像できますか? アメリカって、こういうことが起きるんだって、思いました」

 ところが、ドジャースは10回表に勝ち越しを許してしまう。そのとき、齋藤に声をかけてきたのがノーマー・ガルシアパーラだった。

「ノーマーが言うんです。『齋藤、今シーズンは、君がここまで俺たちを連れてきてくれた。今日は俺たちが君を助ける番だ』。そう言って、サヨナラ2ランホーマー。こんな格好のいい人、いませんよ」

 ルーキーシーズンのデータで圧巻だったのは、奪三振107個に対して与四球は23個、78回を投げて被本塁打はわずか3本。抜群の安定感を見せた。

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著者プロフィール

  • 生島 淳

    生島 淳 (いくしま・じゅん)

    スポーツジャーナリスト。1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。勤務しながら執筆を始め、1999年に独立。ラグビーW杯、五輪ともに7度の取材経験を誇る一方、歌舞伎、講談では神田伯山など、伝統芸能の原稿も手掛ける。最新刊に「箱根駅伝に魅せられて」(角川新書)。その他に「箱根駅伝ナイン・ストーリーズ」(文春文庫)、「エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは信じること」(文藝春秋)など。Xアカウント @meganedo

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