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【MLB日本人選手列伝】松坂大輔 「1億ドルの男」の重圧を背負って戦い続けた「平成の怪物」 再評価されるべき波瀾万丈の足跡

  • 杉浦大介●取材・文 text by Sugiura Daisuke

松坂大輔はメジャー最初の2年間で33勝を挙げた後、ケガや手術を経て戦い続けた photo by Getty Images松坂大輔はメジャー最初の2年間で33勝を挙げた後、ケガや手術を経て戦い続けた photo by Getty Images

MLBのサムライたち〜大谷翔平につながる道
連載22:松坂大輔 

届かぬ世界と思われていたメジャーリーグに飛び込み、既成概念を打ち破ってきたサムライたち。果敢なチャレンジの軌跡は今もなお、脈々と受け継がれている。

MLBの歴史に確かな足跡を残した日本人メジャーリーガーを綴る今連載。第22回は、「平成の怪物」松坂大輔を紹介する。

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【メジャー通算成績は成功とは呼べないが......】

 メジャー挑戦の時点で、これまでで最も騒がれた日本人選手と言えば松坂大輔だったのではないか。ポスティング額、年俸総額は合計で100億円(当時/6年総額5200万ドルと5100万ドル強の入札額の合計)を突破。全米を震撼させるほどの話題を呼んだ"Dice-K"は2008年、"1億ドルの男"の称号とともにボストンに降り立った。

 それから8シーズンをアメリカで過ごし、メジャー最終成績は56勝43敗、防御率4.45。ボストン・レッドソックスの6年に限定すれば50勝37敗、防御率4.52という見栄えのしない数字に終わり、最後の2年間はクリーブランド・インディアンス(登板実績なし)、ニューヨーク・メッツを渡り歩く"ジャーニーマン"になった。横浜高校時代には甲子園春夏制覇、プロ入り後も日本一、世界一の両方を経験し、WBCでも2大会連続で最優秀選手を受賞――そんな20代までの華々しいキャリアを思えば、松坂のメジャーでのキャリアを「成功」と認識している日本のファンは少ないのかもしれない。

 個人的にも、真っ先に思い出すのはレッドソックスでの最後の登板となった2012年10月3日のニューヨーク・ヤンキース戦だ。地区優勝の行方を左右しかねない重要な舞台となった敵地での先発機会で、2回1/3を投げて2本塁打を含む6安打5失点の大乱調。宿敵ヤンキースはこの勝利で地区優勝を決め、試合後、クラブハウスで悔しさを押し殺しながら言葉を搾り出す松坂の姿が忘れられない。

「ボストンでの6年間がこういう終わり方になると思ってもいなかったですし、今は気持ち的にも、とてもしんどいです。みんなには今年のことは忘れちゃえと言われましたけど、まあ無理ですね。一生忘れることのできないシーズンです......」

 こんな記憶を紐解けば、「松坂=メジャーでは成功できなかった投手」と認識されてしまっているのは仕方ないのかもしれない。

 もっとも、あれから時は流れ、すべてを振り返り、松坂のアメリカでの日々を好意的に捉えている米メディア関係者は、実は少なくないことは指摘しておきたい。

 まず、最初の2年間で一定の成績を残したことを無視すべきではない。1年目は15勝を挙げてレッドソックスのワールドシリーズ制覇に貢献すると、2008年には 18勝、防御率2.90 という見事な数字をマークしてサイ・ヤング賞投票でも4位に入った。当時は高レベルだったア・リーグ東地区でこれだけの成績を残したのだから、完調時の松坂はMLBでも十分にエース級として通用する投手だったと考えられる。

 カウントを悪くしても、走者を出しても、なかなか本塁には還さないユニークな投球にはある意味、見応えがあった。2008年はレギュラーシーズン、プレーオフを通じて合計で15度も満塁のピンチに立たされながら、その状況では無安打という象徴的な記録も残っている。もちろん幸運に恵まれた部分があったのも事実だが、2008年の被打率.211はメジャー1位。イニング数を稼げなかったことに突っ込みどころはあるとしても、2〜3年目まではボストンの人々も松坂を暖かく見守っていた印象がある。

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著者プロフィール

  • 杉浦大介

    杉浦大介 (すぎうら・だいすけ)

    すぎうら・だいすけ 東京都生まれ。高校球児からアマチュアボクサーを経て大学卒業と同時に渡米。ニューヨークでフリーライターになる。現在はNBA、MLB、NFL、ボクシングなどを中心に精力的に取材活動を行なう

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