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【MLB】サイ・ヤング賞まっしぐらの山本由伸と違和感を言い出せなかった佐々木朗希――明暗分かれた日本人先発投手 (3ページ目)

  • 奥田秀樹●取材・文 text by Okuda Hideki

【監督が分析する違和感を言い出せなかった佐々木の真意】

 対照的に、佐々木朗希は5月13日、右肩のインピンジメント症候群(関節、腱、筋肉などの組織が骨と衝突したり、狭い空間で擦れたりすることで痛みや機能障害が生じる症状)により負傷者リスト(IL)入りし、現時点では復帰の目処が立っていない。ドジャースと契約する前、佐々木は「100マイル(160キロ)超の速球を取り戻すための課題(宿題)」を各球団に提示したことで知られており、それもあって今季は彼のストレートに注目が集まっていた。春季キャンプでは、ドジャースのコーチ陣とともにフォームの修正に取り組み、東京ドームでのメジャーデビュー戦では101マイル(約162.5キロ)を記録した。

 しかし、その後は100マイルを超える球速が見られず、第4戦となったシカゴ・カブス戦の登板以降は98マイル(156.8キロ)すら計測されなかった。5月9日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦では、最速97.5マイル(156キロ)にとどまり、ストレートで空振りを奪うこともできなかった。この試合では4回5失点と、苦しい内容に終わった。

 そして13日の夜、ロバーツ監督は「朗希はここ数週間、肩に違和感を抱えながら投げていたが、直近の登板を終えるまで球団には報告していなかった」と明かした。12日に受けたMRI検査で右肩のインピンジメント症候群が判明し、正式に負傷者リスト(IL)入りが決まった。

 問題は、チームと佐々木の間で十分なコミュニケーションが取れていなかったこと。球団は佐々木が肩に違和感を抱えていたことを知らなかったため、5月9日のダイヤモンドバックス戦では、これまでの中6日ではなく、中5日での登板を初めて課すことになった。

 ロバーツ監督は、佐々木が違和感を申告しなかった理由についてこう推測する。

「朗希は非常に競争心が強く、チームの力になりたいという思いも強い。投手陣が疲弊していることも理解していて、自分のコンディションは自分でコントロールできると思っていたのだろう」

 しかし結果は、登板内容は安定性を欠き、球速も落ちていた。

「こうしたケースは朗希に限ったことではなく、多くの選手が自身の体調や症状について正直に伝えないことがある。だが、コミュニケーションは双方向であるべきだ。選手が何も言わなければ、我々には状況を把握する術がない。今回の件を通じて、朗希には率直に伝える大切さを学んでほしい。もし彼があの段階でオープンに伝えてくれていれば、我々には(登板回避など)さまざまな選択肢があった。これは彼にとって大きな学びになったはず」と、ロバーツ監督は苦言を呈した。

 佐々木はここまで8試合に先発し、1勝1敗、防御率4.72。34回1/3を投げ、奪三振24、与四球22という成績だった。

 佐々木の獲得を主導したアンドリュー・フリードマン編成本部長は、「我々は彼が世界最高の投手のひとりになると強く信じている。今は何よりも健康と強靭さを取り戻すことが大切。復帰に向けて一緒に取り組んでいこうと、励ましの言葉をかけた」と明かしている。

 ただし、今季中にチームの優勝に貢献するのは、現実的に難しいかもしれない。佐々木は今後、肩の炎症が完全に引くまでボールを握ることはなく、リハビリに専念する方針だ。5月17日には、外野でコンディショニングコーチとともに下半身のトレーニングに励む姿が見られた。クラブハウスで見かける彼の体つきは、ほかのメジャーリーガーと比べて明らかに線が細く感じられる。今後は身体づくりから見直していく必要があるのかもしれない。

つづく

著者プロフィール

  • 奥田秀樹

    奥田秀樹 (おくだ・ひでき)

    1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。

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