野茂や桑田も這い上がってきた険しい道。マイナー契約からメジャーデビューを掴み取った14人の男たち (2ページ目)
【這い上がってMLB在籍10年】
マイナー契約そのものは、野茂登場以前の日本人選手にとっても珍しいことではなかった。1990年代半ばまで盛んに行なわれた野球留学では、NPBの選手たちはマイナー契約を結んでマイナーリーグで腕を磨いていたからだ。そこから実際にMLBへの扉が開いたのが、南海からSFジャイアンツの一員になった村上雅則であり、1997年にニューヨーク・メッツで35試合に登板した柏田貴史であった。
1989年ドラフト外で巨人に入団した柏田は、7年間でわずか1勝という成績だった。だが、1997年にメッツのスプリングキャンプに野球留学したことで道が開ける。前年まで千葉ロッテを率いていたメッツのボビー・バレンタイン監督が左の中継ぎ不足から柏田の獲得を熱望。戦力の充実していた巨人も柏田を自由契約にして送り出したことで、マイナー契約でのMLB挑戦が実現した。
野茂の成功により、NPBの第一線で活躍する多くの選手たちが次々と続いた。しかし、そのほとんどがメジャー契約の好条件での挑戦だ。そのなかで、現在はDeNAでコーチを務める大家友和はマイナー契約でマイナーリーグから這い上がった。
京都成章高校から1993年ドラフト3位で横浜に入団し、高卒1年目ながら15試合に登板するなど、大家は早くから将来を嘱望されていた。しかし、メジャーへの夢はあきらめず1998年オフにMLB挑戦を球団から認められて、ボストン・レッドソックスとマイナー契約を交わした。
1年目は4月に2A、6月に3Aとステップアップし、7月にMLB昇格を果たして7月19日のフロリダ(現マイアミ)・マーリンズ戦に先発してメジャーデビュー。そこから2009年までMLBとマイナー契約を繰り返しながら、野茂に続く日本人選手ふたり目のMLB在籍10年選手となった。
NPBで長く第一線で活躍し、全盛期を過ぎてからMLBに挑戦した選手たちも、最初はマイナー契約だった。斎藤隆は2006年に36歳でドジャース、桑田真澄は2007年に39歳でピッツバーグ・パイレーツ、2010年には40歳の高橋健と35歳の高橋尚成がともにメッツで、マイナー契約からMLBデビューを掴んでいる。
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