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野茂英雄メジャーデビュー25周年。
「トルネード」がアメリカを大きく変えた (4ページ目)

  • 福島良一●解説 analysis by Fukushima Yoshikazu
  • photo by AFLO


 ただ、日本人選手のメジャー移籍によって、日米間の契約を巡るトラブルも頻発しました。そこで、日本のプロ野球でFA権を持たない選手もメジャー移籍できるように、1998年に日米間選手契約に関する協定が調印され、ポスティングシステムが成立。そして2000年オフ、オリックスのイチロー外野手がポスティングシステムを使ってシアトル・マリナーズに移籍し、メジャー初の日本人野手となりました。

 野茂投手がアメリカで大ブームを巻き起こしたことも引き金となり、MLBは市場拡大のために本格的な世界進出に動き始めます。2000年には日本で初の公式戦として、シカゴ・カブス対ニューヨーク・メッツの開幕2連戦を開催。両チームとも日本人選手は所属していなかったにもかかわらず、東京ドームは超満員の観衆で埋まって大成功を収めました。

 当時のバド・セリグ・コミッショナー代行は、日米ワールドシリーズ開催を目指す方向で日本側に打診する動きもあったと言われています。その話は残念ながら進展しませんでしたが、代わりにサッカーワールドカップに匹敵するような各国代表チームによる4年に一度の世界一決定戦を提案。それが2006年、第1回大会として開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)です。

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