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日米野球で来日したメジャーの名選手たち (3ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • photo by Getty Images

 そしてまた、メジャーリーガーにとっても日米野球は思い出深い出来事なのである。1992年のスプリングキャンプで当時アトランタ・ブレーブスのエースに君臨していたグレッグ・マダックスを取材した時のことだった。その時、マダックスは唐突にこんなことを言ってきた。

「(1988年に出場した)日米野球は素晴らしい時間だったよ。知人の紹介で日本人のある夫妻と食事をしたんだけどね。お互い初対面で、それぞれの言葉がまったくわからなくてね(笑)。それでも何だか楽しかったことを、今でもよく覚えているよ」

 さらに、1994年にドジャースのキャンプ地(当時はフロリダ州ベロビーチ)でオーレル・ハーシュハイザーを取材した時も、突然、彼の方から日米野球のことについて話し始めた。

 ハーシュハイザーは1990年にメジャー選抜チームの一員として、93年には単独チームとして来日したドジャースのメンバーとして日本に来ていた。90年は3勝4敗1分でメジャーリーグ選抜が初めて負け越し、93年も0勝2敗でドジャースが敗れていた。

「あなたたちはビッグリーグ(メジャー)と日本の野球に力の差はなくなった、と言っているようですけど……。それは勘違いですよ。僕たちはあくまでもエキシビションでプレイしているのです。そこは理解してほしいですね」

 その負けず嫌いな性格にメジャーのプライドを感じたものだった。余談だが、以前、アメリカのベースボールショップでピンバッジを購入したことがある。セントルイス・カージナルスのピンバッジで、そこには「1958」「JAPAN」「SHIN ZEN RYO KO」の文字が刻まれている。おそらくチーム関係者に配られたものだと思われるが、当時、アメリカの選手たちにとって日米野球は親善旅行だったのだろう。

 また、日米野球の歴史を語る上で欠かせないのが1996年。前年、全米にトルネード旋風を巻き起こした野茂英雄(当時ドジャース)が日本人選手として初めてメジャー選抜チームの一員として来日したのだ。野茂が一球投げるたびに無数のフラッシュが光り、球場を真っ白にしたものだった。

 この年をきっかけに、日米野球は日本人メジャーリーガーの凱旋が目玉のひとつとなった。2000年は佐々木主浩(マリナーズ)、2002年はイチロー(マリナーズ)と大家友和(エクスポズ)、2004年は石井一久(ドジャース)と大塚晶則(パドレス)、2006年は城島健司(マリナーズ)と井口資仁(ホワイトソックス)がメジャー選抜メンバーとして来日。そして今年は岩隈久志(マリナーズ)と和田毅(カブス)のメンバー入りが決定している。

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