松坂大輔やダルビッシュ有とは違う、田中将大流「進化論」 (4ページ目)
松坂やダルビッシュは、日本で完成度を高め、指先まで神経が行き渡った芸術的なフォームを完成させて、海を渡った。ふたりの日本でのピッチングは、基本となる定数が変わらないからこそ成り立つ、美しい数式のようだった。しかしアメリカへ渡り、マウンドの高さ、硬さ、ボールが滑るといった、相手バッター以前の定数に変動があったことで、彼らは、完成度が高かったからこその苦しみを味わわされた。そこが田中とは少し違う気がする。田中は松坂やダルビッシュに比べれば、いい意味でアバウトなところがあるからだ。かつて、田中がこんな話をしていたことがある。
「いいフォームで投げていれば、狙ったところにいいボールは行くはずです。でも、たとえば体調が違えば、同じようには投げられない。日々、体調は変化しますから、そのとき、そのときで何項目か、チェックポイントはあった方がいいと思います。それを自分の中で試しながら、今日はこういうことを意識しよう、今日はここに気をつけて投げようと、毎回、考えています」
田中はもともと、環境への対応力が人並み外れていた。日本でも、彼はいつも圧巻のピッチングをしていたわけではない。ここぞというところでギアを上げ、圧巻のボールを投げてピンチを凌ぎ、点を与えないピッチングをしてきた。高速道路を平時は80キロで走行し、120キロに上げたいと思えば躊躇なくギアを上げ、アクセルを踏み込めたのだ。平時から120 キロの安定走行を求めた松坂やダルビッシュとは、そこが違う。排気量もデカイ田中の80キロ走行に一切の不安があるはずもなく、高性能の日本車の如くギアも簡単に上がり、アクセルの感度も高かったはずだ。
ところが今は、同じ80キロで走行するにしてもそれが一般道で、どこからどんな危険が飛び出してくるのかわからない状況で走らされている感じなのだろう。アメ車がそうだとは言わないが、ギアも上がりにくく、アクセルもかなり思い切って踏まないと反応しない。重心が高いのも、まず楽な位置から負荷をかけずに投げてみて、どんな形ならいいボールが投げられるのかを探しているのかもしれないし、目でいろんな情報を集めるために上体を振らずに視界を保とうとしているのかもしれない。未知の危険が溢れる中で、田中はメジャーという環境に適応するために、さまざまな試行錯誤を行なっているのだと思う。田中はこう言った。
「もちろん投げていればバタバタするイニングもあると思いますけど、それをいかに最小限で食い止めるかということも大事だと思います。そういう中でいかに慌てないで抑えられるかというところも自分にとって凄く大事なところだと思うので、いろんなことを踏まえてしっかり投げられればなと思います」
田中の進化は、生存のための変異、存在し続けるための競争、努力に基づく自然選択によって引き起こされる。つまり、完成度の高いフォームにこだわらず、メジャーのバッターにも効果的なスプリットをうまく使い、捨てるところとそうでないところを模索しながら、現実を踏まえたピッチングをして、責任を果たす。それが日本で24勝0敗を記録した田中将大の真骨頂だ。おそらく開幕してからも、試行錯誤と暗中模索は続くだろう。それでも田中は勝ったり負けたりしながら、ヤンキースのローテーション投手としてイニング を重ねていくはずだ。もちろん、それでいい。それが、今の田中に求められている役割なのだから──。
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