「生きる伝説」デレク・ジーターのラストシーズンを見逃すな!
今季限りでの引退を表明しているデレク・ジーター(ニューヨーク・ヤンキース)のラストシーズンが、いよいよ幕を開けます。ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、ジョー・ディマジオ、ミッキー・マントル......、幾多の大スターを輩出してきた名門ヤンキースにおいて、1995年のメジャーデビュー以来、チームひと筋で19年間プレイしてきたジーターは、数多くの球団記録を打ち立ててきました。2602試合出場、3316安打、348盗塁は、いずれもヤンキース歴代1位。ただし、ジーターのすごさは記録だけではありません。そこで今回は偉大なキャプテン、デレク・ジーターの軌跡について触れたいと思います。
球史に残るヤンキースの名キャプテン、デレク・ジーターがついに現役生活にピリオドを打つ 1974年6月26日、デレク・ジーターはニュージャージー州のペカノックという町で、アフリカ系アメリカ人の父・チャールズと、アイルランド系アメリカ人の母・ドロシーの間に生まれました。心理カウンセラーの父と、税理士の母という賢明な環境で育ったジーターは、両親から「常に奢(おご)ることなかれ」と教育されてきたそうです。その教育方針どおり、ジーターは若い時から人格者として知られるようになりました。1992年、高校を卒業したばかりのジーターがドラフト1巡目全体6位でヤンキースに入団したとき、当時のバック・ショーウォルター監督(現ボルチモア・オリオールズ監督)はあまりにも落ち着いた佇(たたず)まいを見て、「彼は特別な選手になる」と確信したそうです。
メジャーデビューを果たした翌年、ルーキーとして34年ぶりとなる開幕スタメン遊撃手に抜擢されると、ジーターは瞬(またた)く間にヤンキースの中核へと成長していきました。その年は満票でア・リーグ新人王を受賞し、ヤンキースにとって18年ぶりのワールドチャンピオン奪取に貢献したのです。その後もジーターはヤンキースに欠かせない選手として活躍し、スタープレイヤーが集まる中でも強烈なリーダーシップを発揮。2003年には28歳の若さで第11代キャプテンに任命され、独裁的オーナーとして知られるジョージ・スタインブレナーも、「ジーターは、『ヤンキースの選手はこうあるべき』というものを具現化している選手」と最大級の賛辞を送りました。
ジーターがニューヨークのファンから愛されている理由のひとつは、プレイオフやワールドシリーズでの勝負強いバッティングでしょう。常にプレッシャーが圧し掛かるニューヨークという都市で結果を残し続け、ヤンキースを5度もワールドチャンピオンに導きました。ジョー・トーリ前監督も、「大事な場面で必ず良い仕事をしてくれる選手」と絶賛しており、球界屈指のクラッチヒッターを讃えるべく、本拠地ヤンキースタジアムのスタンドには、『キャプテン・クラッチ』の横断幕が掛かっています。
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著者プロフィール
福島良一 (ふくしま・よしかず)
1956年生まれ。千葉県出身。高校2年で渡米して以来、毎年現地でメジャーリーグを観戦し、中央大学卒業後、フリーのスポーツライターに。これまで日刊スポーツ、共同通信社などへの執筆や、NHKのメジャーリーグ中継の解説などで活躍。主な著書に『大リーグ物語』(講談社)、『大リーグ雑学ノート』(ダイヤモンド社)など。■ツイッター(twitter.com/YoshFukushima)