2014.03.28

開幕マイナーの中島裕之「日本に帰れなかった理由」

  • 佐藤直子●文 text by Sato Naoko
  • photo by AP/AFLO

「ヒロー!」

 3月下旬のある日、アスレチックスが春の本拠地を置くアリゾナ州フェニックスにあるフェニックス・ムニシパル・スタジアムに大きな歓声が飛んだ。ファンの声援を背に打席へ向かったのは、アメリカでは「ヒロ」の愛称で親しまれる中島裕之だ。

メジャー挑戦2年目を迎えたアスレチックスの中島裕之。

 財布のヒモが固いことで知られるアスレチックスが、満を持して中島と2年650万ドル(当時、約5億5000万円)の契約(3年目はオプション)を結んだのが2012年のオフのこと。正遊撃手の座も確約されて海を渡ったが、アメリカの野球に慣れきれない3月下旬に左太もも裏の肉離れを負ったことから歯車が狂った。

 故障者リスト(DL)入りしてメジャー1年目の開幕を迎えた選手に「焦るな」という方が無理だろう。期待に応えるために、自分の実力を証明するために、一刻も早く戦列復帰しようとした中島は、多少の違和感が残るまま、調整のためにマイナーリーグの試合に出場を始めた。

 だが、100パーセントの体ではないのだから、100パーセントの結果が出るはずがない。6月に予定されていたメジャー昇格は流れ、結局、1シーズンを傘下3Aサクラメントで過ごした。しかも、この間にはメジャーでプレイするための前提条件となる40人枠から外され、マイナーリーガーに降格。西武時代の中島を知る人は、多少の苦労は予測できても、メジャーデビューを果たせないとは思わなかっただろう。中島自身も「アメリカに来る前は、こんなことになるなんて思ってもみなかった」と振り返る。

 メジャーにやってきた日本人野手、特に内野手は、近年受難の傾向にある。日本で屈指の内野手だと言われる選手でも、アメリカの野球に慣れるまで苦労を強いられ、結果的にケガを引き起こすパターンが多い。