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【独立リーグ】浦和学院では控え、大学・社会人でも無名 それでもあきらめなかった坪井壮地が25歳で覚醒するまで (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Takahiro Kikuchi

 高校3年夏の南埼玉大会では背番号13をつけ、7打数4安打と活躍。すると、夏の甲子園では初めて1ケタ番号となる背番号3を託された。初戦の仙台育英戦では渡邉の代打として甲子園の打席に立ち、安打を放っている。チームは準々決勝で根尾昂(中日)、藤原恭大(ロッテ)らを擁する大阪桐蔭に2対11で敗退した。

 身近な逸材たちに実力差を見せつけられても、坪井は「負けたくない」と魂の灯を燃やし続けていた。

「高校時代に蛭間を見て『モノが違うな』と思いましたけど、いつか追い越してやると思って野球を続けていました。今は無理かもしれないけど、野球を続けている限りは追い越せるチャンスはあるはずですから」

【社会人時代はフルタイム勤務の過酷な環境】

 高校卒業後は東京新大学リーグの流通経済大に進学。大学2年からレギュラーとしてリーグ戦に出場したが、タイトルとは無縁だった。坪井は「結果も出していないですし、無名の選手でした」と語る。

 大学卒業後は社会人のFedEx(フェデックス)で野球を続けた。FedExは企業登録とはいえ、お世辞にも環境はいいとは言えなかった。

「平日は選手それぞれの勤務地でフルタイムで働き、野球部の活動があるのは土日だけ。あとは個人が時間を見つけて練習する感じでした。過酷な環境でしたね」

 FedExでは2年間プレーしたが、都市対抗など全国大会への出場は果たせなかった。「スカウトの目に届くところでやりたい」と考えた坪井は、2025年からBCリーグ・埼玉武蔵に入団する。

 野球がやりたくてもできない。そんな時間を経験しただけに、埼玉武蔵で野球に打ち込めるありがたみを痛感したという。

「毎日野球ができるだけで、すごくうれしいんです。日々野球ができることがありがたいですし、楽しくて仕方がないですね」

 だが、時計の針は止まってはくれない。現在25歳。「もう2〜3年若ければ......」と思うことはないのか。そう尋ねると、坪井は苦笑交じりに答えた。

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