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「死ぬまでにプロ野球の球団を持ちたい」 甲子園のスタンドにいた大阪桐蔭「藤浪世代」大野元熙の終わらない挑戦 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

「結果的に『弁護士は入らなくてもいい』という結論にはなったんですけど、もし弁護士が入るとなると、単純に僕らの取り分が減る。だったら、もう少し単価の大きな仕事をやろうと考えて、会社はそのまま残し、業務を広告関係主体のものに変えたんです」

 メーカーの商品を企業に代わって宣伝する、いわば広告代理店のような仕事を、SNS上でインフルエンサーを起用して展開。ホワイトニングやケア製品を得意分野とし、事業は順調な滑り出しを見せた。

 ところが、その矢先に新型コロナウイルスが拡大。メーカーの商品製造が止まり、ほどなくして広告出稿もストップした。新規事業を立ち上げるタイミングでもあったが、資金繰りが悪化し、計画は頓挫。一気に雲行きが怪しくなった。

【再びアルバイト生活の日々】

 それでも会社そのものを畳むことはせず、規模を大幅に縮小しながら事業を継続。一方で大野自身は捲土重来を期し、再び資金づくりに奔走した。

 アルバイトで運送会社のドライバーとなり、朝からがむしゃらに働いた。起床は朝の4時45分。15分で身支度を済ませ奈良の家を出ると、配送センターで荷物を積み込み、配送先をナビに入力。8時過ぎにセンターを出て出発し、時間指定の最終枠となる19時〜21時までの荷物を配る。そんな毎日だった。

 多い日には200個を超える荷物を受け取り主のもとへ届けた。その数は、センター内でも常にトップクラスだったという。

「ふつうのドライバーさんは、一軒一軒の家に荷物を届けに行く感覚だと思うんです。でも僕は、あらかじめ組んだルートの途中に家があって、そこに立ち寄る感覚でした。だからルート決めが極めて重要で、いかに効率よく回れるかを徹底的に考える。あとは、そのルートに沿って、順番に荷物を降ろしていけばいい」

 こうした何気ない話からも、商売の才覚がうかがえる。やがて資金のメドにしていた300万円をつくると、再び勝負の場へと戻った。前回と同様、SNSを活用した広告を主な業務とし、所属および業務提携のクリエイター、インフルエンサーを約200人抱え、企業案件に対応している。

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