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精彩を欠く筒香嘉智に名将が言い放った「もう野球をやめたほうがいい」 その夏の甲子園で覚醒し世代最強スラッガーとなった (2ページ目)

  • 楊順行●文 text by Yo Nobuyuki

 だが、選抜では北大津(滋賀)に初戦負け。筒香自身も、二塁打こそ1本記録しているが、ほかの打席は併殺打、三振などパッとしなかった。

 選抜以後も苦しんだ。5月の招待試合では、選抜で優勝した沖縄尚学の東浜巨(現・ソフトバンク)を「とにかく、スイングスピードがすごい」とうならせてはいるが、強打者ゆえに警戒され、変化球で崩され、変化球を意識するあまりストレートに差し込まれる。

 悪いことに、その頃から腰を痛め、スランプはますます深刻化。渡辺元智監督(当時)からは「もう野球をやめたほうがいい」と半ばサジを投げられた。「当たればマッハ」と、小倉部長が言い出したのもこの頃だ。

【2年夏の甲子園で覚醒】

 そして夏、チームは南神奈川を制して甲子園切符を手にしたが、7番に降格した筒香は18打数3安打で、打率が2割にも満たない散々なデキだった。

「苦しみました。悩んで、いろんなことを試した」という筒香の覚醒は甲子園初戦、浦和学院(埼玉)との一戦だ。甲子園入りしてから、それまで上げていた右足をすり足にすると、「目線のぶれがなくなった」という2回の初打席でライトに先制2ランを叩き込むなど計4打点。

 ホームランはなんと3カ月ぶりのことで、打順が7番から4番に昇格した広陵(広島)戦でも2安打2打点、仙台育英(宮城)との3回戦も2安打。そして聖光学院(福島)との準々決勝では、逆風を切り裂く2ラン、弾丸ライナーの満塁弾という2打席連続の離れ業だ。

 当時のスコアブックに、筒香のコメントが記してある。

「満塁ホームランは、塁上の先輩から『本塁打はいらないぞ』と聞こえて、センター返しを意識しました」

 それがライトへの「マッハ弾」なのだから、天性のスラッガーだ。15対1と大勝したこの試合で筒香は、1試合個人最多タイの8打点を記録。準決勝では浅村栄斗(現・楽天)らのいた大阪桐蔭に敗れたが、19打数10安打と毎試合ヒットを放ち、個人14打点はこの大会で優勝する大阪桐蔭・萩原圭悟に抜かれるまで、史上最多タイだった。さらに、2年生として1大会3本塁打は、清原和博以来。南神奈川ではピークだった腰の痛みを、痛み止めでなだめながらの記録である。

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