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【夏の甲子園2025】幻に終わったパーム秘話 日大山形の右腕・小林永和が格闘家・安保瑠輝也から学んだ「デモリッションマン」の精神 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

 驚くことに、小林は昨秋の段階ではストレートとスライダーしか信用できる球種がなかったという。

「強いチームだと2球種では終盤にきつくなってくるので。(本田)聖は真っすぐを武器にするピッチャーだし、自分は目指すなら変化球ピッチャーだなと思って。この冬に変化球を練習してきました」

【甲子園ではパームを投じず】

 そして、小林が冬場にマスターした球種のなかに「パーム」がある。プロ球界では床田寛樹(広島)や渡辺翔太(楽天)がパームの使い手として知られるが、本格的に持ち球にする投手は珍しい。

 小林は自身のパームについて「自信のあるボールです」と胸を張る。

「メジャーリーガーの変化球の動画を見ていたら、パームを投げるピッチャーがいたんです。ボールをわしづかみにして、指先を縫い目にかけずに抜く。キャッチボールで試してみたら、感覚がよかったので投げるようにしました」

 ただし、残念なことに、この日はパームを投げる機会がなかった。5回裏に県岐阜商の反撃に遭った小林は2点を失い、この回限りで降板している。じつは、パームは試合終盤の「秘密兵器」だった。

「県岐阜商みたいな強いチームは、試合終盤に球種を張ってきますから。終盤にパームを投げたら、バッターは印象に残るし、エサを撒く感覚で投げようと考えていました」

 もし、小林が甲子園でパームを投げていたら、どんな軌跡を描いたのだろうか。小林本人も「投げたかったです」と惜しんだ。

 試合は3対6で県岐阜商に敗退。とはいえ、小林の表情には充実感が浮かんでいた。

「1番から9番までスキのないチームに、変化球を混ぜながら自分のピッチングができました。相手の力が上でした。甲子園で終われて幸せですし、自分は大学でも野球を続けるつもりなので、これからもしっかりやっていきたいです」

 いつか、小林が再び大舞台に立ち、「幻のパーム」を投じる日はくるのだろうか。技巧派デモリッションマンの野球人生は、これからも続いていく。

著者プロフィール

  • 菊地高弘

    菊地高弘 (きくち・たかひろ)

    1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。

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