【高校野球】全国制覇まであと2つでの登板回避 高校時代の達孝太は将来メジャーで投げることを最大の目標にしていた (2ページ目)
【2度目の冬を越えて激変】
初めて達を観戦したのは、1年秋の近畿大会決勝の大阪桐蔭戦だった。一塁側スタンドからの観戦で球筋はわかりにくかったが、すでに身長190センチを超えたボールには大いなる可能性が詰まっていた。
翌年春の選抜がコロナ禍により中止となり、夏の代替大会、甲子園交流試合も観戦できなかったため、次に観戦したのは2年秋の試合だった。エースとして近畿大会ベスト8進出に貢献したが、投球は2種類のフォークを巧みに使う印象が強かった。
初観戦から1年が経ち、期待を最大限に膨らませて注目したストレートは、ネット裏の計測でも140キロ弱が多く、自身がこだわっていた球質も含めてやや物足りなさを感じた。
それが高校生活2度目の冬を越えた3年春の選抜。そのストレートは劇的に変化した。抑え込むようなリリースに迫力が増し、見た目にも打者の手元での勢いや圧力が、秋とは明らかに違っていた。それは、達がこだわってきた回転数の大幅な増加を物語っていた。
この選抜は1週間500球の球数制限が導入され話題になり、勝ち上がるなかで達の球数も注目されたが、最後は別のところで大きな話題を呼んだ。
仙台育英戦で左脇腹に痛みを感じ、頂点まであと2勝と迫った準決勝(東海大相模戦)では登板できず、チームは敗退した。試合後のオンライン取材で、達は「メジャーの夢があるので、今日は無理をしなくてよかった」と語り、この発言がすぐにネット記事となって拡散された。
名門校の大エースが頂点まであと2つとなった試合で投げず、その理由に将来のメジャー挑戦をあげて語った。その発言を聞いた時、時代の劇的な変化を感じる一方で、彼の思考に触れてきた者としては、「達らしいな」と驚きはなかった。
【選抜で登板回避した理由】
選抜が終わり夏へ向かう時に、達にロングインタビューをした。その時、あらためて選抜での発言について聞いた。
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