【夏の甲子園2025】東洋大姫路の「下剋上球児」は「ベンチ外の星」 選抜はアルプスで応援→夏は背番号8でスタメン (2ページ目)
【寝坊癖が直らずに無期限謹慎】
甲子園球場のある兵庫県西宮市で育った木本は、尼崎北シニアでプレーした。兵庫県の東側で過ごしたため、西側にある東洋大姫路の存在自体を知らなかった。だが、履正社を強豪に育て上げた岡田監督が東洋大姫路の監督に就任すると知った木本は、「岡田監督に野球を教わりたい」と願うようになったという。
「何度か断られたんですけど、それでもあきらめきれなくて。中学のチームをとおしてお願いして、何とか入れてもらったんです」
当時は3学年合わせて部員100人を超える大所帯。東洋大姫路に入学した木本は「こんなに(人数が)おるん?」と面食らった。先輩はもちろん、同期の実力にも驚かされるばかりだった。
「木村(颯太/今春センバツでの4番打者)なんて身長は同じくらいなのに、バッターボックスに入ると威圧感が半端なかったです」
すっかり自信を喪失した木本は、巨大戦力のなかで埋もれていった。寮生活にも戸惑い、何度も朝寝坊をしては厳しく指導された。それでも寝坊癖が改善されず、木本はとうとう「無期限謹慎」を言い渡された。高校1年の9月から11月まで、グラウンドに立ち入ることすら禁じられた。
「ずっと部屋にいたんですけど、何をしていたか記憶が飛んでるんです」
自業自得と言われれば、それまでだ。木本は来る日も来る日も、白い目で見られる日々を過ごした。だが、周りの同期は「腐るな」と励ましてくれた。
「チームに迷惑をかけて、みんなから『うっとうしい』と思われていたと思うんです。でも、同期は見捨てずに『ここで野球をやめても、何も残らない。腐るなよ』と言ってくれて。なんとか続けられました」
【俊足アピールもベンチ入り果たせず】
謹慎が解けたあと、木本はアピールに努めたが、思うような結果が出なかった。自分がレギュラーになる道筋など、到底描くことはできなかった。
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