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【高校野球】夏の甲子園唯一の勝率10割校・三池工を再び聖地へ! 母校を託されたOB監督の奮闘 (3ページ目)

  • 内田勝治●文 text by Uchida Katsuharu

 原貢さんも三池工、そして東海大相模(神奈川)で「アグレッシブ・ベースボール(攻撃的野球)」を貫き、両校を日本一へと導いた。そして境さんのなかにも次第に「打って勝ちたい」という指導方針が根付いていった。

 そして大村工は強力打線を築き上げ、2016年夏の長崎大会で決勝まで進出。長崎商に0対1と惜敗したが、長崎県の公立校のレベルの高さに驚き、鍛え方次第で強豪私学と互角に渡り合えることを学んだ。

【待望の三池工OB監督の誕生】

 その後、福岡県の採用試験を受け直し、2018年から八女工へと赴任。そして2021年から監督として三池工に再び戻ってきた。やはり頭の片隅には、地元の大牟田、そして母校があった。

「教員になりたいと思ったのも、野球に携わりたいと思ったからです。そして野球を教えるのはやっぱり地元、できれば母校で監督をやりたいという目標がありましたので、福岡でもう一度試験を受け直しました」

 こうして待望のOB監督が誕生した。日本一から節目の50年となる2015年に設立されたOB会も打撃マシンを寄贈するなど、協力を惜しまない。日本ハムとヤクルトでコーチを務めた猿渡寛茂さんも定期的にグラウンドを訪れ、現役部員に指導を行なっている。

「猿渡さんは基本を言われますね。守備であれば、まずしっかりと捕ってからスローイングすること。三池工の歴史についてお話されてから技術指導に移ることもあります」

 7月下旬。地元の強豪私立である大牟田高と、同校のグラウンドで新チーム初の練習試合を行ない、4対4と善戦した。現地集合、現地解散にも関わらず、自転車で学校に戻り、自主練を行なう選手たちの姿もあった。

「今まで現地集合、現地解散の時にグラウンドに戻ってきて自主練をする姿はあまり見なかったです。今の2年生、1年生は試合を経験している子がけっこういるので、そこをいいように捉えています。全国制覇から60年、この秋上位にいけば、21世紀枠に選ばれるチャンスもあると思うので、選手たちと一緒に頑張っていきたいです」

 支えてくれる大牟田の街に再び活気を与えるべく、三池工の戦いは続く。

著者プロフィール

  • 内田勝治

    内田勝治 (うちだ・かつはる)

    1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう

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