すでに11球団が視察! 花園大出身初のプロ野球選手誕生へ高まる期待 藤原聡大はいかにしてドラフト候補となったのか
ドラフト候補にも挙がる花園大の背番号18・藤原聡大が時折マウンドで見せる笑顔には、まだあどけなさが残る。
水口高(滋賀)時代は、主に遊撃手としてプレーしていた。1年秋には背番号6をつけ、レギュラーとして活躍。しかし2年になるとチーム事情から背番号1を背負い、投手を任されるようになる。
ただ当時の藤原は、「その頃はどちらかというと、ショートをやりたいと思っていました。なので、ピッチャーで......と言われても、あまり気持ちが乗らなかったんです」と語るように、投手に対して強い関心はなかった。
それでも2年の冬から本格的に投手の練習を始め、3年春には最速143キロをマーク。3年夏の大会は、初戦で滋賀学園と対戦し完投するも3対4で惜敗。この時、藤原の身体能力の高さに惚れ込んだのが、花園大の奥本保昭監督だった。
最速155キロを誇る花園大の藤原聡大 photo by Sawai Fumiこの記事に関連する写真を見る
【3年秋に1試合18奪三振の快投】
花園大進学後は、1年春からリーグ戦のマウンドに上がり、秋には3勝を挙げて新人賞を受賞。細身の体から150キロの速球を投げ込む剛腕として、早くからプロのスカウトの注目を集める存在となった。
3年になると、さらに評価は高まっていく。昨年6月に行なわれた関西5リーグ対抗戦で、自己最速となる155キロを記録。そして秋のリーグ戦では、明治国際医療大学戦で18奪三振をマークし、連盟特別賞を受賞。着実に実力を伸ばしながら、プロへの階段を上り続けている。
だがドラフトイヤーとなる今季、順風満帆なスタートとはいかなかった。
3月に胃腸炎を患い、39度の高熱が続いた。食事もまともに摂ることができず、体重は5キロ減少するなど、1週間ほど練習できない日が続いた。
ようやく回復の兆しが見えたと思った矢先、今度は副鼻腔炎を発症。その後、体調は回復したものの、藤原は「ストレートの威力はまだ完全に戻っていない」と話す。
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著者プロフィール
沢井 史 (さわい・ふみ)
大阪市出身。関西のアマチュア野球を中心に取材活動を続けるスポーツライター。『ベースボールマガジン』『報知高校野球』などの雑誌や、『スポーツナビ』などのweb媒体にも寄稿。2022年7月には初の単著『絶対王者に挑む大阪の監督たち』(竹書房)を出版。共著としても8冊の書籍に寄稿している。