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【大学野球】父を超えるために! 東大のエース・渡辺向輝が導き出した"サブマリン"の方程式 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

── 昨秋の法政大戦は151球で9回を投げきりました。

渡辺 あの日は調子が悪くて、7個も四死球を出してしまいました。ストレートをあまり投げず、スライダー、シンカーをメインに投げました。

── 法政大の強打戦が相手ですから、精神的な疲労が大きかったのでは?

渡辺 満塁機が何回もあって、「どうなるんだろう?」と精神的にすごく疲れました。次の日は力が入らなくて、何もできませんでした。

── チームはサヨナラ勝ちで、渡辺投手にリーグ戦初勝利がつきました。うれしかったのでは?

渡辺 東大野球部として勝つのが一番の目標であり、夢ですから。チームのために抑えることを最優先してきたので、うれしかったですね。ましてやサヨナラ勝ちなんてオープン戦を含めてもなかったので、はしゃいでしまいました。

【父から学んだ投球の本質】

── 逆に続く立教大戦では、逆転サヨナラ弾を浴びて敗れる苦い経験をしました。

渡辺 7回くらいまで完璧に近い内容だったので、「大丈夫かな」という気の緩みがありました。力を入れて投げてみたところ、急に棒球になって打たれてしまいました。

── やはり、アンダースローはスピードが出ればいいというものではないのですね。父・俊介さんも同様のことを言っていました。プロに入ってからもスピードを出そうとして失敗を重ねていたのが、背水の陣であるオリックス戦(2003年5月27日)でスピードを落としたら抑えられたと。

渡辺 その話は僕も聞いたことがあります。

── そうした俊介さんの歩みを見てきたからこそ、渡辺投手は「速い球を投げなくてはいけない」という呪縛から解き放たれているのではないですか。

渡辺 それはあると思います。ストレートの球速を抑えてシンカーと差をつけるという発想は、父の投球を見ていなかったら出ていないと思うので。

── 俊介さんとコミュニケーションをとる機会は多いのですか?

渡辺 子どもの頃は父が現役時代で、遠征が多かったので1年で3分の1くらいしか一緒に過ごせませんでした。家にいる時は、ゲームで遊ぶこともありましたね。基本的に野球も勉強も母がサポートしてくれていました。

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