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東大模試と甲子園決勝の日程がかぶり「痛恨のミスでした...」 智辯和歌山→東大野球部主務・奥畑ひかりは「選手と同じくらい野球一色」 (2ページ目)

  • 門脇 正法●取材・文 text by Kadowaki Masanori
  • 田中 亘●撮影 photo by Tanaka Wataru

【甲子園決勝と東大模試がかぶる"痛恨のミス"】

ーーそして高校3年生の夏に智辯和歌山は甲子園に出場し、優勝します。こうなると、野球が大好きな奥畑さんとしては勉強どころではなくなってしまうのでは?

 その年の智辯和歌山はセンバツには出られなかったので、春は野球を1秒も見ずに勉強してたんですけど、夏は(コロナ禍のなかでも)県大会の球場にも入れるようになったので、全部球場で見ました。試合と日程がかぶっていた東大模試がひとつあったんですけど、それを受けずに観戦に行くって選択もしましたし(笑)。

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ーーいつもの野球最優先の奥畑さんに戻ったんですね。

 今思うと、夏は全然勉強してなかったと思います。イメージ的には、その前にちょっと勉強の"貯金"があった感じなので、その貯金をどんどん使っていっちゃったって感じでした。

ーー当時のお父さんお母さんの反応は?

 両親は、私のやりたいことにいつも協力してくれました。東大に行きたいというのも私の意思でしたし、野球についても見たいなら見たらいいんじゃないって、勉強も野球も頑張れみたいな感じでした。

ーーそして、甲子園も見に行きましたか?

 またコロナが広まってきて、野球部の関係者しか甲子園球場に入れなくなってしまったんです。けど、テレビは智辯和歌山の試合以外は見ないと決めて、学校で受験の補習を受けながら、休憩時間に友だちと職員室へ行って先生にテレビを見せてもらって、時間がきたらまた仕方なく補習を受けるみたいなことをしてました。

ーー自分の高校が優勝したのを見た時はやっぱりうれしかった?

 それが県大会の観戦でひとつ受けなかった東大模試の代わりに、8月末に違う東大模試を入れていたんです。たしか8月29日だったんで、絶対に甲子園の決勝も終わっていて、野球もないだろうと思っていたら、この年の夏の甲子園が雨ですごく日程が伸びちゃって、優勝の瞬間は模試を受けていて見ていないんです。痛恨のミスでした......。

ーーちなみに、その時の模試の結果は?

 ふつうに悪かったです。私は高校2年生の冬に東大を志望しようと思ったんですが、それからわりと能天気で、たぶんいけるっていう、ある意味で楽観主義なところがあったんです。それが入試直前の東大模試でもE判定が出ていたのもあって、そのまま根拠がない自信と漠然とした不安のなか、東大入試の本番を迎えたのを覚えています。

ーータラレバ話になりますが、もし東大に受からなかったら、ほかの大学に行って野球部のマネージャーになりましたか? それとも浪人してでも東大野球部に?

 東大野球部のマネージャーになりたいとは思ってましたが、その前提として、東京六大学野球連盟の野球部でマネージャーになりたい気持ちもあったので、東大に落ちたら、ほかの五大学に入っていたかもしれません。けど......。

ーーけど?

 けど、東大を受験しようと勉強しながら、東大野球部のことも調べたりして、どんどん知っていくうちに、私はほかの六大学じゃなくて東大のマネージャーになりたかったんだなって、入試から発表までの期間に思うようになってきました。ギリギリで落ちたら浪人してたかもしれないし、でも、もう受験勉強したくない自分もいたりして......。

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