東大模試と甲子園決勝の日程がかぶり「痛恨のミスでした...」 智辯和歌山→東大野球部主務・奥畑ひかりは「選手と同じくらい野球一色」
東京大学野球部主務・奥畑ひかりさん インタビュー後編(全2回)
阪神ファンの家庭に生まれ、気づいた時には野球が大好きになっていたという東京大学野球部・主務(マネージャーの責任者)の奥畑ひかりさん。子どもの頃の野球愛エピソードがさくれつした前編に続き、後編では東大受験を振り返ってもらいつつ、今年100周年を迎える東京六大学野球への思い、そして就職活動について聞いた。
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【コロナ禍は一日12時間の勉強の日々】
ーーコロナ過の緊急事態宣言が出された2020年、智辯和歌山高校2年生だった奥畑さん。プロ野球の録画をすべて見終わり、「勉強するしかない」と受験勉強をはじめた当時の一日を教えてください。
奥畑ひかり(以下同) 私は睡眠を大事にするタイプだったので、朝はけっこうゆっくり、8時くらいに起きて朝食を食べてから、お昼まで勉強。昼食を1時間くらいでとって、また勉強を夕方4時くらいまでしてました。
ーー午後4時からは、ちょっと遅めのおやつタイムみたいな?
その頃だけ、私のなかでドラマ『相棒』の再放送を見るルーティンがあって、その1時間が休憩で、そのあと夜8時くらいまで勉強して、夕食を食べて、また夜12時頃まで勉強して寝る毎日でした。一日12時間は勉強していたのかな。コロナが一番大変だった時期に、一番勉強していた気がします。
ーーいま振り返って、この時期の勉強でよかったことはありますか?
一番よかったのは、英語をイチから復習したことです。中学英語から復習して基礎ができたのが大学受験の時に最後活きてきたかなと思っています。
ーー学校のテストでの成績や順位も上がっていった感じですかね?
高校2年生の時に文系と理系に分かれて、私は中学に入ってから世界史も好きになっていたんですが、数学はずっと苦手なままで、理科もあまり好きじゃなかったので、必然的に得意科目が多い文系になりました。ただ、智辯和歌山は理系に進む生徒が多くて、私の学年は理系が190人、文系が80人ほど。文系で私はだいたい5番から10番くらいの間には入っていたと思います。
ーー毎日12時間、机に向かった奥畑さんですが、勉強のスイッチが入ると止まらないタイプ?
止まらないタイプかどうかはわからないですけど、勉強することをあまり苦だとは思わないタイプだとは思います。でも、勉強が楽しいと思っていたわけではないので、学問としての勉強が好きなわけではなく、あくまで受験のための手段として割りきっていました。
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著者プロフィール
門脇正法 (かどわき・まさのり)
マンガ原作者、スポーツライター。1967年、埼玉県生まれ。日本女子体育大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了。アニメ『ドラゴンボールZ』の脚本家である小山高生氏からシナリオを学び、マンガ原作者デビュー。特にスポーツアスリートの実録マンガを得意としており、『世界再戦ー松坂大輔物語ー』(集英社/少年ジャンプ)、『好敵手ー室伏広治物語ー』(同)、『闘球「元」日本代表ー福岡堅樹物語ー』(集英社/ヤングジャンプ)の原作を担当。現在はマンガの原作だけでなく、「少年ジャンプ」のスポーツ記事特集『ジャンスタ』を中心に、『webスポルティーバ』の「文武両道の裏側」など、スポーツライターとしても活躍中。著書に『バクマン。勝利学』『少年ジャンプ勝利学』(ともに集英社インターナショナル)などがある。