東大野球部初の女性主務・奥畑ひかりの進路を決めた野球愛 母校の智辯和歌山は「野球好きにとって最高の環境でした」 (2ページ目)
【家族で甲子園球場へ通った子ども時代】
ーーでは、さかのぼって奥畑さんが野球に興味を持ったきっかけは?
気づいた時には好きでした(笑)。私はひとりっ子なんですが、父が阪神ファンで、家ではいつもテレビの野球中継がついていたので、自然な流れでした。
ーーお父さんとは野球を見るだけではなく、一緒にキャッチボールとかも?
父は野球部出身ではなくて、キャッチボールをする文化もなかったですし、基本的に野球はテレビで見る家庭でした。私も運動神経があんまりよくなかったので。
ーー奥畑さんは和歌山県出身。甲子園球場に野球を見に行くこともあったり?
小学生の時には、家族でよく甲子園へ行ってました。学校が休みの日とか、平日でも授業が早く終わる日とかに、少なくとも月1回ペースで行っていたと思います。(2013年)セ・パ交流戦で、藤浪晋太郎投手と大谷翔平選手のプロ初対決を見たのが一番の思い出です。
ーー奥畑さんはどんな子どもだったんですか? たとえば、得意科目や不得意科目とかは?
今はあまり読書をしていないんですが、当時は読書が好きで、国語が得意でした。不得意は算数で、苦手科目をひとりで勉強できるタイプではないので、小学4年生から塾に通いはじめました。
ーー塾以外で、ほかに習いごとはしていましたか?
いろんな習いごとをしてました。バレエも水泳もピアノも習っていて、勉強は塾だけでなく「公文」にも通ってましたし、月1回、野外活動みたいなキャンプへ行ったり。毎日が忙しい環境だったんですが、私はあんまり苦にならないタイプだったので。
ーー習いごとのなかで、野球みたいにハマっちゃったことはありましたか?
習いごとに関して言うと、本当に勉強以外の才能がなくて......。ピアノも全然得意じゃなかったし、バレエも全然ダメで、水泳もあんまりだったので、唯一、人よりできたなと思ったのは勉強だけでした。でもバレエは、小学6年生の中学受験が終わるまでやってましたし、ピアノも最後は本当に趣味程度でしたけど、高校3年生まで続けました。
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