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【選抜高校野球】東洋大姫路・岡田龍生監督 「最近強くなりましたね」の若い記者からの声がけに複雑な胸中

  • 谷上史朗●文 text by Tanigai Shiro

東洋大姫路・岡田龍生インタビュー(後編)

 1979年春の選抜、主将・岡田龍生率いる東洋大姫路(兵庫)は、初戦で修徳(東京)に6対1で勝利。ロースコアの展開で試合は進んだが、8、9回に4点を奪い、突き放した。大会後に発売された当時の雑誌に、岡田のコメントが残っている。

「上がっていたわけじゃないが、試合になって緊張してしまった。前半はスクイズ失敗など、本来の野球ができなかった。自分もストライクを見逃したりしていいところなし。<中略>2回戦からは落ち着いていけると思う」

 あの時の記憶が蘇ってきたのか、17歳当時の心境を語ってくれた。

東洋大姫路の主将として1979年春の甲子園でベスト4に入った岡田龍生監督 photo by Tamigami Shiro東洋大姫路の主将として1979年春の甲子園でベスト4に入った岡田龍生監督 photo by Tamigami Shiroこの記事に関連する写真を見る

【池田高校との雨中の決戦】

「あの試合は5番ファーストの選手が3安打を打って、インタビュー通路でのお立ち台に上がって記者に囲まれていたんです。それを見て『ええなぁ、次は絶対にオレが』と思ったのは覚えています」

 そんな勝気な主将の願いは、次戦で叶うことになる。つづく大分商との試合は、東洋大姫路打線が爆発し12得点。岡田は6打数3安打、三塁打2本の活躍でお立ち台に呼ばれた。

「でもね、ほんまは6打数4安打やったんです。もう1本センターに抜ける打球があったんですけど、ピッチャープレートに当たってセカンドゴロ。あれがふつうに抜けていたら......。あの時の大分商(大分)の先発は、のちにジャイアンツで活躍する岡崎郁です。いま彼がやっているYouTubeでその頃の話をして、僕の名前も出てくるみたいです」

 2回戦を突破し、チームはベスト8に進出。準々決勝の相手は池田(徳島)。この5年前の選抜で「さわやかイレブン」旋風を起こし準優勝。強豪校への道をたどっていた時期で、もちろん蔦文也がチームを率いていた。

 この一戦は、今でも強く記憶している。高校野球の雨中の熱戦といえば、まず箕島と星稜(石川)の延長18回が思い浮かぶが、私のなかではその次に来るのがこの東洋大姫路と池田の試合だ。今ではあり得ない、まさに泥んこのなかの試合で、しかもナイター。普段とは違うイレギュラーな環境での試合に、ワクワクしながらテレビにかじりついていた記憶がある。

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著者プロフィール

  • 谷上史朗

    谷上史朗 (たにがみ・しろう)

    1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。

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